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  3. 元てっぺんKOREAのCEOが目指す「世界一の焼肉店」
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「てっぺん」の夢に協調し立ち上げメンバーとなる

東京・田町に慶應仲通り商店街は、幅の狭い道の両側にさまざまな飲食店が軒を並べて昭和の風情が漂っている。周辺はオフィス街でランチもディナーも賑わっている。この外れに「焼肉PANCHAN」という瀟洒な焼肉店がある。オープンしたのは2017年5月。2階建てで計27席、44席の店舗だ。

慶應仲通りの奥の方に出店している

同店の経営者は徳田祥平氏。オープンするまでは2008年から2016年4月までの8年間、韓国で「てっぺんKOREA」を展開するCEOとして活躍していた。

代表取締役の徳田祥平氏
ファミリー、カップルから接待にも応えている

徳田氏は1979年12月生まれ、東京の出身。飲食業に入ったのは大学4年生の時、「銀座の飲食店でアルバイトをしてみたい」という動機で求人情報誌を見て、日本料理店の募集に応募したこと。同店には後に「てっぺん」の創業メンバーとなる内山正宏氏(現、株式会社MUGEN代表取締役)が料理長をしていて、徳田氏はオープンキッチンで働く内山氏の仕事ぶりとお客様との巧みな会話で店の空気をつくっている様子に感化され、また内山氏からも懇意にされた。

同店の近くに「飯場」銀座店があり、「てっぺん」の創業者となる大嶋啓介氏が店長をしていた。同店は公開朝礼で話題となっていた。内山氏は大嶋氏と交流があり、大嶋氏の「てっぺん」を立ち上げる夢に協調し、「飯場」銀座店で働くようになった。徳田氏も内山氏と同時に同店でアルバイトをした。

「てっぺん」1号店は自由が丘に2004年1月オープンし、徳田氏は大学の卒業を控えた1月に同店に入った。徳田氏は同店で頭角を現し、同店と渋谷店の店長を務めた。

その後徳田氏は同社の海外事業部を任され、現在株式会社ロイヤルストレートフラッシュの代表取締役である類家令奈氏と共にコンサルティングなどの新規事業を担当することになった。

「てっぺん」の海外展開構想に韓国が浮上する

「てっぺん」では海外で展開する構想を抱くようになり、「世界のてっぺんはニューヨークだ」ということで徳田氏は3カ月間現地に滞在してリサーチを行った。しかしながら、ニューヨークの風土は「てっぺん」の持ち味には適していないと感じるようになった。

この頃「てっぺん」の公開朝礼に韓国からの参加者が増えるようになっていた。そこで徳田氏は大嶋氏と一緒に韓国を訪ねてリサーチをした。2007年のことである。そこで韓国に奮い立つような熱気を感じ取った。

その後、韓国で100店舗規模のFC展開をしている飲食企業から朝礼を含めたコンサルティングの依頼を受けた。徳田氏が指導をしていくうちに従って同社の店の業績は著しく向上し、チームとしてのまとまりもできていった。「このムードはてっぺんにぴったり」だと感じ、韓国で「てっぺん」を展開する計画を立てた。

徳田氏は1年間ほど韓国で仕事をしながら「てっぺん」を立ち上げる準備を行った。かつての韓国は日本の文化を禁止するなど反日のスタンスであったが、2002年のサッカーW杯の開催をきっかけに開放的なムードになった。以来、日本の文化が一気に入り込むようになった。

これを好機と捉え、2008年9月に「てっぺん」の韓国1号店をオープンした(40坪80席)。

日本人が経営するおいしい日本料理店として大繁盛

この店は日本の「てっぺん」の仕組みをそのまま導入して、にわかに注目されて繁盛店となった。そのポイントは、低価格の単品メニューをそろえたこと、日本人が韓国人向けに営業するという店がとても貴重であったこと、「てっぺん」の熱のこもった雰囲気が画期的であったことなど。また、従業員には「日本の文化が好きだ」という若者が集まっていた。

場所は弘大(ホンデ)。文化解放区のような雰囲気が校風の弘益大学校があり、「下北沢の中に六本木にあるような店を詰め込んだような街」の中に、若者が集まり朝まで賑わいがあった。「てっぺん」韓国1号店は弘大の外れにあったが、月商1600万円を売り上げる繁盛店となった。

その後、韓国人の店長を育て、「てっぺん」はソウルに4店舗を展開した。その要因について徳田氏は、「土地の利もあり、好景気という時の利も手伝った」と語る。

時勢に左右されて店の将来性に限界を感じる

しばらくよい状態が続いていたのだが、徳田氏は次第に違和感を抱くようになった。

まず、韓国の「てっぺん」は最早日本の「てっぺん」の事業ではなくなり、よりローカルな路線を採って行く必要性があったこと。2011年の東日本大震災をきっかけに「日本のものは危ない」という風評被害があったこと。2013年2月に朴槿恵(パク・クネ)氏が大統領となってから景気が落ち込むようになったこと等々、さまざまな良くない条件が重なっていった。「てっぺん」の売上も低迷するようになった。

また、韓国の「てっぺん」が2008年以降行ってきたことにさびが生じてきていることを感じるようになり、自分自身もこの間インプットを欠いていたことを実感するようになった。

一方、徳田氏が韓国に渡ってからの日本の外食事情は大きく変貌していた。東京は世界の都市の中でミシュランの星付きの店の数が世界一になり、LCCによって韓国から日本に手軽に渡航できるようになり、おいしい日本食を食べるためには韓国の「てっぺん」に行くよりも、日本に行った方がお手軽だという環境になった。

そこで、徳田氏は「自分が置かれている環境を変えよう」と考えるようになり、韓国の4店舗を売却する決心をした。

現在「焼肉PANCHAN」で料理長をしている落合亮司氏はTEPPEN USAの担当をしていたが、こちらも閉鎖して、二人で日本で事業を起こすことにした。

アメリカでのリサーチから焼肉店に有望性を抱く

そして徳田氏は2016年4月に日本に戻った。
ここから物件を探すことになるのだが、自分自身の失われた感覚を取り戻すためにたくさんの繁盛店をリサーチし、人と会うことに時間を割いた。

立地は東京であること以外はこだわらず、業種は「寿司」「ラーメン」「焼肉」といった普遍的なものしようと考えた。この中で、これまでアメリカの外食事情をリサーチしてきた経験から「これからは焼肉がはやる」という確信があった。しかも「日本の焼肉」にして、生産性を考慮して客単価が高い店がいいと考えた。

こうして「焼肉PANCHAN」は2017年5月にオープンした。
肉は肉のおいしさが一番伝わる薄切りを基本として、手切りだけではなくスライサーも使用している。

3大看板商品は「プルコギサーロイン」800円、「熟成タン塩」2,480円、「ハラミステーキ」1,680円となっている。

「焼肉の常識を変え、世界を笑顔にする」

オープン当初は苦戦した。「われわれが浦島太郎になっていたことをひしひしと感じた」という。
2017年の年末にはようやくお客様から認知されるようになり、2018年に入り微増を継続するようになり、この年末に売上は大きく跳ね上がった。その傾向が今日も継続している。

近隣に焼肉業態の店舗が増えていった。
「PANCHAN」の客単価は6000円で、ファミリーでの会社の接待にも使える店だ。他の焼肉店とは客単価では競合はせず、むしろお客様のオケージョンによって焼肉店を選べる環境になったと言える。

和気あいあいの雰囲気が漂うスタッフたち

これからは東京を代表する焼肉店を目指し、3年以内を目処に4~5店舗の陣容にしたいという
「PANCHAN」のステートメントは「焼肉の常識を変え、世界を笑顔にする」というもの。ビジョンは「東京を代表する焼肉店なること」。東京を代表する焼肉店になることは世界一の焼肉店となること意味する。そして、東京で基盤をつくってから、アメリカに進出することを視野に入れている。

 

店舗情報

店舗名 焼肉PANCHAN
エリア 田町

運営企業情報

企業名 株式会社GFI

業態別 カテゴリー

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