レストランの格を星で表すガイドブックの「ミシュランガイド」には「ビブグルマン」というカテゴリーがある。これは2014年版から導入された評価指標で、「良質な料理をおもに5000円以下で楽しむことなできる店」を紹介している。飲食業で独立開業した人にとってこれに選ばれることは社会的信用を得ることになり、メジャーな存在に近づくことを意味する。

ここで紹介する天野裕人の「GYOZAMANIA西荻窪本店」は『ミシュランガイド東京2019』のビブグルマンに選ばれた。同店は最近人気の業種である「餃子バル」で、お客様から注文を受けると皮からつくる手間暇をかけた餃子の商品力が多くの人に知られるようになった。

株式会社マニアプロデュース代表取締役の天野裕人氏

アルバイトながら積極的な営業活動で頭角を現す

天野氏はエー・ピーカンパニー(以下、AP)の執行役員を務めた人物である。メイン業態である「塚田農場」を立ち上げ、2016年3月からは中国展開の指揮を執った。「GYOZAMANIA」にはAP時代に経験した「独創的な事業を興す」という野望と、中国で経験した大衆に根強く愛される「餃子」が結びついている。

APは創業社長である米山久氏が2001年、東京・八王子にダーツバーをオープンしたことに始まる。天野氏が飲食業に就くことになったのは、このダーツバーにアルバイトとして入ったことがきっかけである。
天野氏が入った当時は周辺に類似店舗が増えていき、ダーツバーそのものも人気に陰りが見えていた。
そのような中で天野氏キャッチを自主的に行った。当時の八王子では「キャッチ」という行為そのものが珍しく、「APの天野が八王子にキャッチの文化をつくった」と言われるようになるほど積極的に行った。

当時月商は400万円であったが、そのうちクーポン誌の売上が30万円で、天野氏のキャッチによる売上は100万円を占めた。

天野氏がシフトの入る平日は、週末より忙しくなり、料理長はそれに合わせた仕入れをし、店長はアルバイトの人員を増やすようになった。いつしかそれは「天野シフト」と呼ぶようになった
月次報告書のこのような内容を見た社長の米山氏から、「天野って何者だ」と一目を置かれるようになった。
そして、天野氏は社長から声を掛けられるようになり、現在の「塚田農場」の発端となる養鶏場を開設する構想など、さまざまなビジョンを聞かされるようになった。
このように仕事の夢をいきいきと語る社長に憧れるようになり、APに入社した。

中国展開の担当者となり現地に溶け込むことに奮闘

さて、話題を天野氏の餃子との出会いに移す。APで数々の実績をつくった天野氏は中国展開の担当者となり、2016年3月より北京の「塚田農場」を運営するようになった。ここでの大きなエピソードとして月商700万円だった店舗を2200万円に伸ばしたことが挙げられるが、その背景には、天野氏が中国人の文化に溶け込もうという努力があった。

当初、日本の「塚田農場」と同じメニューでのぞんだが、それが全く受け入れられなかった。
「塚田農場」で人気上位にある鶏のスープに餃子が入った「焚き餃子鍋」というメニューがあり、従業員もお客様に自信満々でお薦めしていた。これも中国のお客様に人気になるものと思い、鼻高々とお薦めして食べていただいたところ、意に反してクレームが続出した。

「中国では餃子はとても安い食べ物なのです。屋台では270円くらいで25個ぐらい食べることができます。そんな環境の中でこの餃子の鍋は1000円くらいで餃子が5個程度しか入っていない。しかもスープがしょっぱくて飲めない。そんなことで中国のお客様は怒るわけです。そこで、その翌日から餃子の鍋は中止しました」

日本と同じメニューは切り替えることを心掛けて、当時シンガポールの「塚田農場」で人気を博していたコラーゲンの「美人鍋」をメインに据え、サンプランシスコで運営していたラーメン店のラーメンを導入したところ繁盛するようになった。

会社を立ち上げた当時を思い出し起業を決意

また、中国は「日本人が大好き」というお国柄であったということも奏功した。北京では「塚田農場」以外にも日本料理店はたくさん営業しているが、これらのほとんどはまがい物であった。そこで、本物の日本人が店の中で働いている「塚田農場」は中国人にとってアイドルに会いに行くような動機の存在となった。
日本の『食べログ』のような『大衆点評』では、一日に6件のクチコミが入った。そ のうちの幾つかには必ず「本物の日本人がいる」ということが話題になっていた。

中国での「塚田農場」の運営は、何もかもが日本から派遣された人材で賄わなければいけない。人の採用と教育、食材の調達、商品提案とチェック、売上の管理、物件調査と開発、店舗デザイン等々、実に多岐に及び煩雑なことであった。しかし、これが天野氏に起業の動機をもたらすことになった。

「この雰囲気がAPの立ち上げの頃に似ていたんです。これからは自分で立ち上げをやってみたいという気持ちが湧いてきたのです」
そして2016年12月、天野氏はAPを退社した。

面倒な作業を要する商品は差別化になる

起業に際して最初に考えたことは「業種」である。ここでは、北京で親しんだ「中国の餃子」を思い描いた。中国の外食での餃子は、注文を受けてから厨房で餃子を作っていた。一般的な店も屋台も餃子はどこでもおいしい食事であった。
日本でも「餃子が一番おいしい店」と感じて通っていた東京・八幡山の店でも餃子は注文を受けてから皮から手作りしていたことを思い出した。そこで天野氏はこう確信した。
「このような提供方法は面倒なことであるが結果とてもおいしい料理となる。これは絶対に大手がまねることができないし、差別化になる」

2017年4月、創業の店「GYOZA MANIA」(ギョウザマニア)を東京・西荻窪にオープンした(8.5坪17席)。「営業して半年持ったところない」という物件であったが、逆境にある中で業態をブラッシュアップしていこうという思いがありここに決めた。

「原価が低いものでおいしい料理に仕上げる」ということをモットーとして、原価率は20%を心掛けた。「注文を受けてから皮から作る」餃子がたちまち話題となりよく繁盛するようになった。客単価2000円。

店頭のオープンキッチンで注文を受けてから餃子を皮からつくっている(品川はなれ)
皮は柔らかく餡のおいしさを引き立てている
つまみは中国の大衆的なフードをラインアップ

起業の2年間で経営の在り方を学ぶ

天野氏は「1年間に3店舗出店する」ことを目標に掲げて、1号店をオープンして間もなく物件を探した。
そこで紹介されたのが品川駅前の物件であった(26坪60席)。同じフロアに古巣の「塚田農場」があり、同店は好調を維持していることを知っていた。ここは定借で営業期間が3年半と限られているが、家賃も低く設定されていることから出店することを即決した。2017年8月のことである。西荻窪と同じメニュー構成であるが、客単価は3000円となっている。続いて、2018年5月、武蔵小杉に3号店をオープン(8.5坪10席)。

紹興酒の甕を陳列するなど、昔ながらの中国の飲食店のイメージを演出している

出店ラッシュを支える人材は元APで他社に勤務していた元部下に声を掛け、また相談を受ける形で採用していった。

天野氏は創業してからの2年を振り返り、経営の在り方について勉強になったと語る。

「コンセプトがしっかりとしていれば立地は関係ないと思っていましたが、立地は重要なことだし、マーケットもしっかりと捉えないといけない。ブランディングや社員教育も重要です」

さらに商品を磨き外食ビジネスの新しい形に挑戦

2018年10月、東京・神田に小籠包の店「小籠包マニア」(14坪30席)をオープン。これまでの店と同様、注文を受けてから皮から作る。

これまで餃子の店を展開してきたのは、小籠包の店を展開するための布石だという。餃子の店を展開してきて、従業員が皮をつくる技術が著しく向上した。
さらにこの店の出店に際して、日本で小籠包の師を探しクオリティの高い小籠包の作り方の教えを受けた。
日本ではあまり知られていないことだが、小籠包は老麺(ロウメン)というイースト菌に似た発酵生地がクオリティを引き立てるといい、天野氏はそれを入手するころができた。これによって小籠包の皮は薄く延ばすことができて、これを「小籠包マニア」では大きな差別化としている。

これからは、FCを手掛けたいとしている。これは外注先であるメーカーの技術が高度になっていることも後押ししている。スープと餡の製造はここに依頼し、皮は店内で製造してもらうことを想定している。スープと餡を外注するのは、このレシピが加盟店に流出することを回避するためでもある。

APで培った起業家としてのマインドと中国で出合った餃子という商品の可能性を携えて、天野氏は外食ビジネスの新しい形を切り拓いている。

 

店舗情報

店舗名 ギョウザマニア
エリア 荻窪

運営企業情報

企業名 株式会社マニアプロデュース
URL https://gyouzamania.owst.jp/

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