「吉原」の歴史を調べていくと、明治時代の彩色された勇壮な木造建築が現れ、その中で営まれていた人間模様が書かれている。囲われた街の中は今日でいうテーマパークだったのだろう。そして、その周りにはたくさんの料理屋が集まっていたという。ここで食事をしていた人たちは、テーマパークに入る前の高ぶった気持ちに拍車がかかっていたことであろう。

 

東京都台東区日本堤の土手通りに面する「桜なべ 中江」は、当時の吉原周辺の料理屋の風情を残しているという。初代は中江桾太郎氏。明治20年(1887年)に郷里新潟より上京し、黒門町(現在の上野あたり)で料理人の修業をはじめ、明治38年(1905年)現在地の吉原大門前に「桜なべ 中江」(以下、中江)を創業した。店頭にある古い看板は歴史を重々しく感じさせる。建坪30坪、2階建てで80席。関東大震災(1923年)の時に倒壊して、翌年立て直した。以来、東京大空襲でも焼け残り、四半世紀に一度柱だけを残してつくり変える、といった工事を重ねてきた。現在、文化庁の登録有形文化財に指定されている。

土手通りを挟んだ向こう側に「吉原大門」跡が控える「桜なべ 中江」の外観

ご町内のコミュニティにとって欠かせない存在

現在、「中江」を営むのは4代目の中江白志氏。「中江」は代々長男が受け継いできた。中江氏も幼少の頃から将来「中江」を継ぐものと思い、幼稚園に上がるころから店の手伝いをしてきた。下足番、お燗番(お燗の温度を測る)から始まり、厨房の洗い場、ざく場(野菜を切る係)、そして高校生になると肉を切る担当をした。こうして順々に重要な役割を任された。

 

大学を卒業した後はメーカーに勤め、台東区日本堤の自宅から埼玉県川口市の会社までマイカー通勤をしていた。この会社は土日休みの週休二日制、残業があっても18時ないし19時に退社することができたため、自宅に帰って来てから「中江」の厨房に入った。

 

入社した翌年に名古屋に転勤となった。自宅から通勤していた時のように「中江」を手伝うことができなくなり、年末の繁忙期の前に退社を決意した。24歳にして4代目となり、実質一人で板場を営んだ。そして、地元の老舗としてご近所付き合いを大切にした。

 

浅草の三社祭は5月だが、日本堤のお神輿は6月の第1週に行われる。「中江」の周辺ではこのあたりから毎週のようにお祭りが土日に開催される。お祭りの後には直会(なおらい)として、神様にお供えした食材をいただく会が「中江」で開かれる。こうして「中江」はご町内のコミュティにとって欠かせない存在となっている。

調度品や装飾品が老舗の伝統と歴史を伝える

 

独自の肥育方法と味付けでオリジナリティが際立つ

「桜鍋」とは、馬肉をすき焼き風にして食べる料理だ。創業当時20~30軒の桜鍋屋が集まっていたとのことだが、これらの店は牛肉のすき焼き同様に割り下の鍋で馬肉を食べていた。しかし初代は、「馬肉と牛肉の肉質は違うのだから」と、割り下に味噌だれを合わせて大きく差別化した。この味付けは門外不出、一子相伝として受け継がれている。

味噌だれを加えたオリジナルな味付けが差別化となり、日本酒が合う鍋として知られるようになった

「中江」の馬肉は国産を使用。北海道で生まれた仔馬を福岡・久留米の契約牧場で肥育していて、これをチルド便で送ってもらっている。

 

馬肉は一般的に月齢30カ月前後で出荷されるが、「中江」では6~7歳まで肥育している。これによって生体の状態で熟成して、脂のうま味が十分にのった肉が仕上がる。「中江」ではこれを桜鍋、馬刺しでも提供している。

6~7歳まで肥育して生体の状態で熟成していることから肉にうま味がある

 

「中江」の桜鍋は日本酒がとてもよく進む。お客もそれを楽しみにしていることから、日本酒の品ぞろえはお客による「総選挙」で決めている。

 

この手順は、まず蔵元にエントリーをしてもらう。エントリーした日本酒を、お客に飲んでもらって投票をした結果で、その年に扱うか否かを決める。冷酒がおいしくなる直前、ゴールデンウイーク前に行って何を扱うかを決め、きりっと冷えたお酒がおいしい時期に勢ぞろいするという考え方。燗酒にふさわしいものはグランドメニューに掲載している。

 

新型コロナ禍となり3月・4月は休業、5月の連休明けから営業を再開しテイクアウトも取り組んだ。当初は馬肉料理を応用したもので構成したが、「地域の人に食べていただくのであれば、みなさんが好きな食べ物でメニューをつくった方がいい」ということから、ガパオライスやキーマカレー、馬肉のハンバーグなどをラインアップしていった。

 

店内では「松コース9700円」「竹コース7700円」「梅コース5700円」という定番があるが、「極上桜づくしコース」をうたったワンランク上のコースメニューをラインアップした。コースでは複数の部位を楽しめるが、中でも「極上ロース9500円」が人気となっている。

 

新型コロナ禍以前と比べると20代30代や、遠方から車で来るお客が増えた。マイクロツーリズムが注目されたことで下町を巡るというパターンが増えてきて、「せっかくだから有名なおいしい店で食べようか、というお客が増えているようだ」と中江氏は語る。また、家族代々で来店している常連客も存在する。こうして客単価は1万円前後を維持している。

 

「先代に従うままだと、先代の店になってしまう」

100年以上続く老舗の4代目として中江氏は「中江」の経営をどのような姿勢で臨んできたのか、と尋ねたところ、中江氏はこのように語った。

 

「私は、先代の言うことを聞かない、ということをモットーとしてきました。先代に従って仕事をしていると『やらされ感』があってつまらないのではないか。仕事がつまらないと、中途半端に金と名前があるから、邪な道にいくのではないか」

 

「そこで、楽しく仕事を続けていくためにも、自分で考えて、結果がよくなくても自分の責任として受け止めて、どうすればよいのだろうと考え、さらにその先に進むという流れができるのではないか。このような考え方をとってきました」

 

このような中江氏の姿勢が現れているのが「桜なべ中江別館 金村」の存在である。旧吉原にあり昭和31年(1956年)に「料亭金村」(以下、金村)として改装されて以来、吉原唯一の料亭として営んできた。その後、女将さんが高齢のために廃業、売りに出されたところを「中江」が購入した。10年前のことである。

 

老舗の家業を継承し、浅草吉原の文化を伝えようと奮闘している中江白志氏(右)

同店は、会員制の完全予約制で、1日1組貸し切りとしている。ここでは主催者がひいきにしている芸人さん、落語家、マジシャン、講談師などを招いて、例えば落語会を開いた後に、落語家さんと一緒に食事をするなど、エンターテインメント性の高い利用のされ方をしている。こうして月に10~15日稼働している。

 

かつての「金村」がこのような形で継承されていることを、最も喜んでいるのは地元の人たちなのだという。中江氏はこう語る。

「金村を買う時に3代目には一切相談しなかった。先代の言うことを聞いていたら先代の店になってしまう。店はお客の店であるべきだと思います」

 

クラウドファンディングでお座敷遊びを開催

「芸者」も吉原発祥の文化である。この囲われた街の中に、「芸者」と「遊女」という二つの女性の職業が並び立っていて、その境目が存在した。吉原からは「芸者」が活躍する料亭が次々となくなって行き、最後の料亭として残っていたのが「金村」である。

 

残念ながら現在、「吉原芸者」は存在していない。そこで「金村」でお座敷遊びを開催するときには浅草から招いている。それを手掛けて功を奏したのは、芸者の男性版である幇間(ほうかん=太鼓持ち)が浅草に存在していることから、芸者と一緒に招くことになったことだ。芸者と幇間によってお座敷遊びがより奥深いものになった。

 

しかしながら、この芸者、幇間たちが新型コロナ禍でぱったりと仕事がなくなった。

そこで中江氏は浅草花柳界を応援するために、「金村」に芸者、幇間、そして噺家に来てもらってお座敷遊びを楽しむという趣旨のクラウドファンディングを行った。タイトルは「芸者文化発祥の地『浅草吉原』でお座敷遊びをして花柳界を盛り上げよう!」というもの。目標金額を100万円に設定して5月28日よりスタートしたところ、1カ月間で支援者26人によって126万5000円が集まった。これをもとに10月、「金村」で4日間にわたり支援者とともにお座敷遊びを楽しんだ。中江氏はこう語る。

 

「吉原の伝統文化のことを世に伝えて行こうという自分の想いがまとまっていると、このような気持ちを受け止めてくれる人がいて達成できるということが分かりました。これからの時代、夢とか想いというものを強く持っていていいのだと確信しました」

 

このような考えを抱き続け実践する姿勢こそが、老舗が営々と継承されていく秘訣なのではないか。

10月にクラウドファンディングによって開催されたお座敷遊びは、浅草吉原の文化が存分に開花した

 

店舗情報

店舗名 桜なべ 中江
エリア 三ノ輪
URL http://www.sakuranabe.com/

運営企業情報

企業名 桜なべ 中江
URL http://www.sakuranabe.com/

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