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  3. 干物の名品「伴助」と出合い事業領域を拡大
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「干物鍋」が好評につき販売日数を1カ月延長

銀座5丁目、昭和通り近くで営業する「銀座伴助」の店名と店構えには老舗の風格が漂っている。店舗は57坪、正面の物販コーナー(15坪)にはさまざま干物のサンプルを陳列しそれがクオリティの高さを感じさせる。その奥が干物を扱う和食店となっている(42坪78席)。

その同店が昨年10月4日より秋冬メニューとして導入した「骨取り干物 絶品だしちゃんこ」4500円(2人前/税別)が人気を博して、この2月末終了予定だったものを3月末まで延長することになった。

好評につき3月末まで販売を延長している干物鍋

これは同店の干物の特徴である骨を丁寧に取り除いた干物のうち、鍋料理に合う縞ホッケと赤魚を一つの鍋にたっぷりと使用。干物の中には旨味が閉じ込められているので、鍋に入れるとこれがだし汁に広がり絶品の味わいになるというもの。この他鍋には岩手県岩中豚バラ肉や宮崎県日向鶏もも肉、白菜・春菊・椎茸・焼豆腐・つみれ・油揚げ・しらたき・長ネギなどを使用している。

「干物鍋」は現在、特許出願中で、今年は10月ごろから干物鍋の提供を再開することを想定している。

同店は、客単価がランチ2300円、ディナー7000円ということだが、ランチでは中高年の女性が多く、近くの歌舞伎座で観劇を楽しむ一環で利用しているようだ。ディナーは接待需要が多く、連日半分程度は予約で埋まるという。
普段は「3時間飲み放題付きで8000円」というコースが人気で、また「接待コース1万円で3000円相当の干物のお土産付き」というものも好評だ。こうして、この和食店は1000万円を売り上げる。
ちなみに同店の物販スペースの売上は200万~300万円。最も売れるのは父の日で、お歳暮、お中元の時期がそれに続いている。

27歳で起業、1年に1店舗のペースで店舗展開

同店を経営するのは横浜・川崎エリアに飲食店を16店舗展開している株式会社若竹。代表取締役の田口優英氏は1972年10月生まれ、川崎で育った。高校中退後にアルバイトをしていた地元の飲食企業に入り、すぐに頭角を現し17歳で店長に就任、19歳で本部に入り若くして23店舗を統括していた。

株式会社若竹、代表取締役の田口優英氏

しかしながら、同社は1997年2月に倒産。田口氏は24歳であった。田口氏は社長の子息を助けて新会社を設立し、3年間限定で手伝うことを誓った。それは20代で起業するというビジョンがあったからだ。

そして、約束通りに3年間で同社を去り、2000年4月創業の店であるお好み焼きの「若竹」をオープン。半分は自己資金、半分は公庫で賄った。同店は単にお好み焼きを提供するのではなく、鉄板焼きメニューを豊富にし、ドリンクの品揃えを豊富にした。お客様としては居酒屋として使っていただいて、締めとしてお好み焼きや焼きそばを食べていただくというコンセプトである。

創業から2年後に会社を設立。それ以降、1年に1店舗の出店ペースを維持してきた。それは「従業員を雇う以上は、彼らの将来を考えなければならない。そのモチベーションを高めていくためには会社を成長させていき、従業員の全員が夢を共有していなければならない」(田口氏)と考えたからだ。

現在社員が25人いるが、この半分以上がアルバイトから社員なった人たちである。2020年に創業20年を迎えるが、社歴の一番長い人で18年、そして17年、16年、15年と続く。このように会社の草創期を支えた人たちが、現在も活躍している。

同社の業態は「若竹」の他に「新横浜酒場」という具合に出店している地名を付けた「〇〇酒場」シリーズ、鶏・魚・日本酒をアピーすする「魚鶏屋」、「そば処和のみ処」、そして「銀座伴助」となっている。

「〇〇酒場」はずばり大衆路線で、「毎日来ることができる店」がコンセプト。480円でもつ煮食べ放題、手羽中を1本28円からと、類似業態を圧倒する内容だ。これが地元のお客様から愛されるようになり、新横浜、関内、川崎、鶴見東口、鶴見西口と約1年半の間で5店舗出店した。ちなみに、川崎駅近くの川崎モアーズ8階にある「川崎酒場」は11時オープンで昼飲み需要に対応(23時クローズ)、客単価1700円、42坪で1000万円近い売上を誇る。

上質の干物「伴助」と出合いパートナーシップを結ぶ

「銀座伴助」のアイデアは、2013年9月に出店した「魚鶏屋」で閃いた(客単価3800円)。
ある時、田口氏がスーパーの干物売場で高級品として扱われていた「伴助」の干物と出合った。これは福岡・いわき市の干物メーカー株式会社伴助の商品で、上質な干物ブランドとして重宝されているものだ。

これを田口氏が食したところクオリティが高く安定していることに感動し、同社の福島の工場を訪ねた。そこでの製造工程を見てさらに感動した田口氏は同社代表取締役の小野喜尚氏にこのような依頼をした。
「是非『伴助』の干物を当社のメニューに入れたい。そこで既存の飲食店に卸しているものよりも上のクラスのものを直で送ってほしい」

伴助の福島の工場で「銀座伴助」オリジナルの干物を製造している

小野氏としても、これまで自社の干物はバイヤーに納めているだけで、それを食している実際のお客様の表情を知る機会がなかった。自分たちがつくっている干物を食べているお客様がどのような表情をしているのか、おいしいと言っているのか、そのようなことがこれまでは分からなかった。
伴助との取引が始まってから、田口氏は小野氏を「魚鶏屋」に招いて、「伴助」の干物が大層好評である様子を見ていただいた。

このような体験をした小野氏は「自分たちも飲食店をやりたい」と思うようになったという。
田口は「それは餅は餅屋ということで」と、伴助にはおいしい干物をつくっていただいて、「われわれは責任を持っておいしい料理をつくってお客様に提供しましょう」ということになった。

「銀座伴助」の特徴「骨のない干物」が誕生

そして、二つとない干物の専門店づくりの準備を行っていった。
「乾物の骨を取ることで手を汚して食べるということは果たして良いことなのか。また、おいしい干物を引き立てるご飯、付け合わせ、みそ汁をどうすれば良いのか、われわれも一生懸命に考えました」(田口氏)

こうして構想約1年で「銀座伴助」は誕生した。
同店の干物には骨がない。それが何よりも最大の特徴である。骨がない干物はとても食べやすく、初めて食べたお客様は大変驚くという。

「銀座伴助」のオープンは2016年7月であるが、これは現在の場所とは異なる銀座3丁目である。再開発計画があったために2年間の契約であった。元アパレルショップでこれを1階物販16坪、2階レストラン16坪21席の店に作り替えた。家賃は260万円であった。

銀座は東京の中でもグルメが集まる街で、店名に「銀座」がつくことで絶大なる付加価値をもたらす。そこで銀座3丁目の店をオープンしてからすぐに移転先を探すようになった。
銀座5丁目に移転したのは2018年3月。路面で57坪と銀座3丁目の店と比べて倍に近い規模となったが家賃はその3分の2となった。

「銀座伴助」の運営は、まず「銀座伴助」の商標を若竹が所有。若竹が物件を借り上げ、店をつくり、店を運営。物販では若竹が業務委託の形で伴助の商品を販売、売上の10%を手数料としていただいている。
レストランは若竹の運営で干物を伴助から仕入れている。また、「銀座伴助」のオンラインショップも開設している。

陳列ケースの中の品揃えには老舗の風格が漂う

地域に愛される店舗展開とライセンスビジネスと

「銀座伴助」によって、若竹ではライセンスビジネスを事業化することができた。この1月より株式会社ポプラのコンビニ「生活彩家」で「銀座伴助弁当」を実験的に販売している。「銀座伴助」の存在は、若竹の事業領域を広げ、また伴助にとっても販売チャネルを増やすことにつながっている。Win-Winの関係性はますます深まっている。

田口氏は「銀座伴助」の今後の展望をこう語る。
「店舗展開は、銀座の他に八重洲、日本橋に出店し、3店舗を想定していますが、それ以外は広げません。百貨店から催事での出店を要請されることが多くなってきていて、今後は物販コーナーで干物と弁当の販売を行いたい」

前述の「〇〇酒場」シリーズは6月を目処に東京・蒲田への出店を計画。その後は根岸線(京浜東北線)の大船、藤沢も視野に入れていう。

このように若竹は、横浜・川崎で経営基盤をつくり、名品である「伴助」の干物と出合い「銀座伴助」のブランドをつくりそれを育てている。地元のお客様に親しまれて、また信頼の厚いメーカーとのパートナーシップによって事業領域を堅調に拡大している。

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店舗情報

店舗名 銀座伴助
エリア 銀座
URL http://ginza-bansuke.co.jp

運営企業情報

企業名 株式会社若竹
URL http://wakatake-group.co.jp

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