生きていく上で重要な「食」。老化や障がいなどさまざまな理由から噛む力や飲み込む力が低下し、食事を楽しむことが難しい方も多くいらっしゃいます。そのような方にも喜んで食事をしてほしい、と嚥下機能が低下している方でも安心して食べられる、健常者と一緒に同じ食事を楽しめるフレンチフルコースを提供するお店があります。横浜にある「創作料理 Maison HANZOYA」です。

 

誰もが食事を楽しむことは、環境や社会に配慮した世界となるよういくつかの目標を定めたSDGs(※)でも「目標3.すべての人に健康と福祉を」で触れられており、重要な課題となっています。

今回は、創作料理 Maison HANZOYAを運営する株式会社ドリームカムトゥルー企画の代表取締役加藤英二氏に、嚥下機能が低下している方でも安心して食べられる食事を提供することになったきっかけなどについてお伺いしました。

(※)SDGsとは貧困や飢餓、ジェンダー平等など世界的に取り組む必要がある課題に関して定められた国際目標。

SDGsの目標3について詳しくはこちら→SDGs達成に向けて飲食業界ができることー目標3.すべての人に健康と福祉をー

 

嚥下食に興味を持ったきっかけを教えてください。

東日本大震災のボランティアを通じて知り合った鶴見大学の歯科医師の方から、フランス料理が嚥下食に向いていると言われたのがきっかけです。ただ正直、その時はあまり関心がありませんでした。

 

ボランティア活動が一段落した後日、一緒に食事をする機会があったのですが、その時に同席されたイーエヌ大塚製薬の方から同社の食べ物を酵素で柔らかくする技術について教えていただきました。
実際に、酵素で柔らかくした食べ物を見せていただいたのですが、見た目は通常の食事と同じでしっかりと形を保っているのですが、口に入れると噛まなくても溶けていくのです。

これには大変驚きました。歯科医師の方からも再度、フランス料理のシェフとしてぜひ嚥下食に取り組んでほしいと勧められました。前向きに検討してみると、フランス料理にはムースなど似たような食感の食べ物が多いことに気付き、一度当社で嚥下食についての勉強会を開催することにしました。

 

―勉強会を実施されてみていかがでしたか?

当社スタッフを集めて、イ―エヌ大塚製薬の方に嚥下食とは何かなど、イチから教えていただきました。

正直私自身は嚥下食に取り組めても、スタッフはフランス料理を作るために当店で働いているのだから、介護食や病院食の開発に関して前向きになれるのだろうかと懸念していました。ですが、あるスタッフが勉強会の後に私の元に来て、「ぜひ、やりましょう」と言ってくれたのです。早速、嚥下食の開発に取り組み始めました。

株式会社ドリームカムトゥルー企画 代表取締役加藤英二氏

 

―どのように開発を進められたのですか?

2013年頃から開発を開始したのですが、最初は歯科医師の方に言語聴覚士(※3)や管理栄養士、福祉施設のケアマネージャーの方などを紹介していただき、どのような食事だと嚥下機能が低下した方でも問題なく食べられるのか、について教えてもらいました

事前にアドバイスをいただいた方々に加え、歯科医師やがんの専門医など、医療関係者の方70人を呼んだ食事会を開催し、作った嚥下食を試食してもらったところとても好評でした。

 

一方で、アドバイス通りに作った料理は、料理人として納得できるものではなく、あくまでも“医療関係者が安心して出せる食事”でした。私は、自分が作るからにはおいしそうな見た目、食感や味、香りなど、食事する方が楽しめるものにしたいと思っていたのです。嚥下機能が低下している方でもご家族やご友人と一緒に同じ食事を食べていただき、味わいの共感をしていただきたいと考え、次の食事会ではアドバイスのままではなく、自身が納得できるように開発した料理を提供しました。

(※3)言語聴覚士とは、話す、聞く、食べることなどに障がいをもつ方のサポートやリハビリなどを行う専門職。

 

―反応はいかがでしたか?

70人中65人が、患者さんや利用者さんに食事してもらうには誤嚥などのリスクが高過ぎる、実際の提供は難しいとのことでした。重い雰囲気に包まれる中、ある女性医師が「患者さんにおいしい料理を食べてもらいたい。こんな食事を提供できれば絶対喜んでもらえる」と発言してくれました。

 

すると、その他の方々も女性医師の意見に賛同してくださり、食事会の雰囲気は一気に軽くなったのです。同時に、どうすれば誤嚥のリスクを軽減でき、嚥下が難しい方に提供できるのかアドバイスをたくさんいただきました。助言をもとに再考し、今度は症状のある方に食べてもらう機会を設けました。

試行錯誤を重ねて、嚥下食の開発を行った

―症状のある方は食事されてどのようなご様子でしたか?

その方は舌がんの患者様で、舌を全摘出したことからスムーズに食事をすることが難しく、普段は嚥下食でも40グラムほどを15分かけて食べるのが精一杯とのことでした

 

ですが、フランス料理のフルコースを40グラムで作ることはできません。残しても構わないから、と普段提供しているフルコースと同量を用意したのです。すると、その方が日常食べられている食事量の倍以上であるコース料理を完食!お酒も飲まれ、食事を心から楽しみ、喜んでいただきました。一緒に食事をしていた奥様や看護師の方なども、その様子を見て涙を流しておられました。

 

―すべて食べきることができたのですね!

とてもうれしかったです。同時に大変驚きもしました。なぜ、この方が食事を完食できたのか学術的に調べてもらったところ、人間はモチベーションが上がり、気力が向上すると、体が日頃動いている機能以上の働きをするようになるということです。もう少し分かりやすく言うと、いつもは65%しか使っていないけれど、気力の向上によって80%の力を発揮できるということです。

 

反対に、気力を生むことができないと、より悪循環となっていきます。おいしくなく栄養を取るためだけの嚥下食を食べていると、徐々に食事量が減り体力も落ちていきます。それがとても大きな問題となっているのです。

食事会に来ていただいた方も、普段はパジャマから着替えることすら面倒だと嫌がっていたそうですが、フランス料理のフルコースを食べるという行為にモチベーションが上がり、きっちりとスーツをお召しになっていらっしゃいました。

 

この食事会での出来事が自分自身の経験ともリンクして、私の中でさらにスイッチが入ったのを覚えています。スラ―ジュ(嚥下フレンチ:嚥下機能が低下しても安心して食べられるフランス料理)を提供するようになりました。

 

―どのようなご自身の経験ですか?

実は2010年にくも膜下出血で緊急入院したのです。あの時はもう死ぬと思い、医師や家族から回復に向かっていると伝えられても、余命を隠されているのだと疑っていました。

ですが、実際に回復の兆しがみられ、徐々に外出の許可が下りるようになると、入院中には体験できていなかった人々の営みとそれによる音、心地よく吹き抜ける風とその音など、改めて“日常”を体験する機会が増え、その一つ一つが幸せで感動的なのだと実感しました。

最初はただ病院の重湯を口にしていましたが、“日常”を体験してからはもっとおいしいものを食べたいなど、前向きな感情が生まれるようにもなりました。

 

―ご自身がモチベーションの重要性を体感されていたのですね。

だからこそ、嚥下機能が低下された方でも皆さんと一緒に同じ食事を楽しむことができる料理を多くの方に食べていただきたいと思い、店舗での提供を開始しました。スラ―ジュは非常にご好評いただいており、嚥下機能が低下した方ご自身においしそうに食べていただくのはもちろん、ご家族や看護師、介護士の方からも喜びの声がたくさん届いています。

 

当店でお食事をされた方は、日常においても変化があることが多いです。

嚥下が難しい方は1日に数回、歯ブラシで口の中に刺激を与えて唾液を出す必要があります。唾液にはアルコールの数十倍という消毒機能があるため、口内を清潔に保つための日課なのですが、嫌がる方が多くとても大変な作業なのだそうです。

ですが、「また今度、HANZOYAに行きましょうね! 今度はケーキも食べましょうね!」などと話ながらだと、自ら進んでやってくれると伺いました。他にも、起き上がって活動をする、服を着替えるなど、日々の行動を前向きに取り組んでくれるようになるそうです。

一見、サーモンのムニエルに見える嚥下食。口にすればとろけていき飲み込みやすい

―食事以外でも影響があるのですか?

そうなのです。外食することがモチベーションにつながり、リハビリなども積極的に行うようになるそうです。病気が治っても障がいが残る方はたくさんいらっしゃるのですが、中には「楽しく食事をできないなど、不自由な生活を強いられるのであれば治らなくてよかった」と言う方もいるそうで、医療関係者の方々も大変葛藤があるようです。

 

医師や看護師の方々は治療はできても、モチベーションを向上させることは難しいため、そこは外食産業やエンタメ業界など外部からの協力が必要になるのだと考えていらっしゃいます。みんなが積極的にフォローするようになれば、本当に素敵な社会になると思います。

 

―今後の展開はどのようにお考えですか?

2019年にFunease Cooks Port(ファニーズクックスポート)という団体を立ち上げました。同団体では嚥下機能障がいと食事についての理解を深め、フォロー体制を構築し、すてきな社会となるよう積極的に飲食業界に伝えていきたいと考えています。

 

私のようなフレンチのシェフだけでなく、和食、イタリアン、中華などたくさんのジャンルの料理人が、嚥下が難しい方でも食べやすい料理を開発すれば、より食事を楽しんでもらえるようになります。

例えば、病気などで何かのハンデを持つことになったとき、できなくなることが増えますが、まずは食事から不自由をなくしていきたいです。誤嚥性肺炎などのリスクを気にする方もいますが、ある程度の配慮があれば危険性は低くなります。当店では400人以上の方がお食事されましたが、誤嚥を起こした例はありません。

正しい知識も併せて発信し、飲食業界をより社会に配慮した業界にしていきたいです。

店舗情報

店舗名 創作料理 Maison HANZOYA
エリア 横浜
URL https://hanzoya.co.jp/restaurant/index.html

運営企業情報

企業名 株式会社ドリームカムトゥルー企画
URL https://hanzoya.co.jp/

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