この度の緊急事態宣言の中で、「お子様連れのお母さん、お父さんにもつの串焼き5本入りパックを100円で販売」ということを実践しているもつ焼き店がある(ここでの「もつ」は豚の内臓のこと)。店名は「もつ焼 でん(以下、でん)」。2013年にオープンした水道橋店が1号店で、その後、中目黒店、西小山店、蒲田店、戸越銀座店、アメ横店(以上、東京都内)、佐渡金井店(新潟県佐渡市)と展開してきた。代表は内田克彦氏(冒頭写真)である。

街中で見かけるようになった「こども食堂」をヒントにして、お子様を通じて社会貢献する企画がひらめいた

「でん」の取材が決まってから、「内田克彦」を検索したところ太い黒縁のメガネの人物であった。この人物は筆者にとっては、飲食業の記憶のシーンに深く刻まれた容貌で、とても懐かしく感じた。

 

飲食業のトップランナーの下で学ぶ

筆者の記憶にある内田氏は、2003年に新宿末広通りにオープンして新宿三丁目の一帯が飲食街としてにぎわうきっかけとなった「日本再生酒場」のカウンターの中にいた。「日本再生酒場」は戦後にブームとなった「もつ焼き」を復活させた存在で、10坪足らずの店舗ながら月商1000万円をたたき出した。

 

2007年9月、「飲食業開業支援」をうたって「飲食店のプランニングで最も優秀と認められた人物に1億円を投資」というコンテスト「伝説への扉」が開催された。そのファイナリストの中に内田氏がいた。筆者はこの黒縁メガネの人物が「日本再生酒場」に居たことを思い出して、「飲食業での独立心が熱い人なんだ」と思った。このコンテストでは優勝を逃したが、中島賞(審査員の一人、際コーポレーション代表の中島武氏の賞)と熱演賞を受賞した。

 

その後、内田氏は、新宿思い出横丁の「もつ焼ウッチャン」のカウンターの中にいた。この店は中島氏が出資者として関連していると聞いていた。店内にはジャパニーズロックがガンガンと流れていた。

 

そして、取材場所となった水道橋の「もつ焼 でん」はオープンしたての当時、知人と食事をしたことを思い出した。そして黒縁メガネの人物がいきいきと仕事をしていた。そこはかとなく「日本再生酒場」のテイストを感じた。このように筆者の飲食業の記憶の中で、「もつ焼き屋でいきいきと働く」というシーンの中に内田氏が存在している。

 

内田氏は1963年5月生まれ。新潟の佐渡島の出身。高校を卒業後上京し、専門学校に進み、アルバイトで新宿二丁目のゲイバーで働く。ここでは8年間勤務して、飲食業で独立する意識が芽生えるようになった。そこで、求人雑誌で見つけた「八百八町」の梅屋敷店で働く。この店は、つぼ八の創業者である石井誠二氏が同社を退任してから開業した店である。

 

「八百八町」はファミリーを背景にした住宅街で展開していて、内田氏は同社で10年間勤務した。この後に述べる内田氏の「子ども連れのお母さん、お父さん」に対する思いは同社での経験で培われたものだろう。

 

これ以降の内田氏の飲食業体験の経営者が、前述した「日本再生酒場」代表の石井宏治氏、際コーポレーション代表の中島氏とつながっていく。途中、自身でカフェを経営したり、別のもつ焼店で勤務することもあったが、飲食業のトレンドをつくったそれぞれのトップの下で働いてきた。内田氏は会話の節々で、「大変お世話になった方々」ということでこれらの経営者の名前を挙げるが、内田氏の今日の経営姿勢に大きな影響を及ぼしていることだろう。それは、商売の技術を磨くこともさることながら、商売の相手を思いやる気持ちだと筆者は感じている。

休業して「もつ焼き」のスキルアップに充てる

さて、この度の緊急事態宣言で「もつ焼 でん」では自粛要請に従っている。ここで内田氏は、休業している間に、従業員のもつの串打ちともつ焼きのスキルアップの時間に充てようと考え、それを実践している。

普段串打ちの機会の少ないスタッフは確実に成長し、熟練のスタッフはさらに技を磨く

内田氏はランニングを趣味としていて、店に入るまで自宅から町中を抜けてやってくる。この中で見る機会が増えてきたのは「こども食堂」という看板であった。ここで内田氏も「子どもを通じた社会貢献」を意識するようになった。そして「このもつ焼を子どもたちに食べてもらおう」とひらめいた。

 

この時、学校が夏休みに入る時期で、「夏休み応援企画、無料」ということを考えたが、「無料だと入りにくい人がいる。100円でもいいから、お金をお預かりしてお渡しをした方がいい」と知人からアドバイスされた。

そこで「通常営業のときに来店をしていただく機会のない、お子さんやお子さん連れのお母さんにおいしいもつ焼きを食べてもらう」という企画が整った。

 

スタートしたのは東京都内の6店舗同時で2021年7月25日から。串打ちは12時から16時までで1店あたり300~400串となる。

もつ焼きの他に惣菜も販売、お子様連れの人には1個200円、お子様連れではない人には、もつ焼き5本セットを含めてすべて300円で販売する。16時から販売し、売り切れと同時に営業を終了する。買い物をしてくれた親子のお子様には昔の駄菓子屋にあったくじ引きを1回楽しんでもらう。

 

「でん」の各店がこのような試みをしていて、各店では思わぬ売れ方をしている。アメ横店は周りに小売店や飲食店が密集していて、これらの経営者や従業員が買い求めるようになり、ご近所づきあいが活発になった。ほかの店舗でも、通常営業のときには来店することがなかった地元の住民が買い求めにやってくるようになった。顧客層が広がっている手応えを感じている。

常連の顧客は、「もつ焼 でん」が店内営業を休業しているときに電車に乗ってもつ焼や惣菜を買い求めにやってくる

水道橋店は「でん」の中でも最も長く営業していて、常連の顧客も多い。そこでわざわざ電車に乗って買い求めにやってくる顧客もいる。

 

これらの試みは9月30日の緊急事態宣言解除で終了。この売上はすべて小児医療施設に寄付するという。また、各店長から今回の試みによって従業員の串打ちの技術が格段に上がったとの報告を得ていて、当初の狙いは達成している模様だ。

「もつ焼き」によって地方創生に貢献

内田氏は、「もつ焼き」をライフワークとしてきたことから、「地方創生もつ焼出店計画」を温めてきた。これは大衆から愛されて流行に左右されることのない「もつ焼き屋」によって地方経済の活性化と雇用の促進を図るというものだ。

 

この構想は細かく作り込まれている。

まず、出店場所は日本国内に存在する屠畜場205カ所であること。こうして新鮮なもつの供給を安定させる。そして増加傾向にある「シャッター街」に出店し、地元住民を集客し、商店街の活性化を図る。これらが実施されることで年間80億円以上の売上げ規模となり、1200人の雇用を生み出す計算となる。

店の内装は、①中心にコの字カウンターを設置(スタッフの動線を考慮し、料理の提供時間を短縮する)、②蛍光灯を使用(商品の鮮度を際立たせる)、③両側の壁に鏡を設置(限られた店舗規模を広く見せる)。店舗は10~20坪で、仕込み時間10時~13時、営業時間14時~21時で日曜定休。客単価2000円強で、原価率30~32%。

 

内田氏はコロナ禍が落ち着いてから、この構想を着実に進めていく意向だ。

コロナ禍は通常営業では気付くことがなかった社会との関わりを体験する機会をもたらしていることを「でん」の活動が示している。

現在、暖簾は店内に保管されているが、緊急事態宣言解除後は、通常通り店頭に掲げられている

 

店舗情報

店舗名 もつ焼でん
エリア 水道橋
URL http://www.den-inc.net/

運営企業情報

企業名 株式会社田
URL http://www.den-inc.net/

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