品川駅の東側、港南口には大きなオフィスビルが林立している。それとともに飲食店がにわかに増えるようになった。このエリアに「輝け!品川ゴールデン横丁」(以下、ゴールデン横丁)が誕生し、港南口の飲食に新しい魅力を発信している。7月末にオープンする予定だったがコロナ禍で営業を休止、8月末にランチ営業を開始、緊急事態宣言が明けて、この11月1日から通常営業となった。

 

ゴールデン横丁はビルの地下1階、160坪の敷地を「アジアン肉エリア」と「台湾・和食エリア」に分けて計9店舗が出店している。アジアン肉エリアの店舗は「煮込み串カツ 福介」「鉄板バル 和牛4番 マーチン」「タイ屋台食堂 センディーストリート」「韓国屋台 鍋の店 韓チャン」「ミュージック喫茶+バー クリームソーダ」、台湾・和風エリアは「台湾酒場 だんだん」「元祖鶏ちゃん焼き ねじべえ」「産直牡蠣と生まぐろ かば」「自家製十割そばと揚げたて天麩羅 十割」となっている。ゴールデン横丁の中には各店を隔てる敷居がなく、それぞれキッチンが中心となって客席が構成されている。この整理されていない状態が半面「横丁」としての楽しさを醸し出している。

品川・港南口のオフィスビル地下1階、160坪のスペースに9区画で構成されている

 

「横丁」づくりに賛同する仲間と協働

ゴールデン横丁をプロデュースしたのは、かばはうすホールディングス(本社/島根県安来市、代表取締役/松田幸紀)。アイキャッチの人物が代表の松田氏である。かばはうすHDのほかにセンディ(本社/東京都中央区、代表取締役/後藤雅彦)、雅門(本社/東京都品川区、代表取締役/渡邊新之)、大連(本社/鳥取県米子市、代表取締役/徳永太慈)の4社が共同で運営している。

 

ゴールデン横丁が開発された経緯について、かばはうすHD代表の松田氏が解説してくれた。

 

ゴールデン横丁が入居する品川フロントビルは2010年11月に竣工。この地下の部分はビル側としては倉庫にする予定だったが、松田氏はリスペクトする先輩経営者とビル側と交渉し60坪と100坪の二つの区画をつくってもらった。かばはうすHDは60坪のスペースで「山陰海鮮炉端かば(以下、炉端かば)」を出店、先輩経営者の会社では100坪のスペースで沖縄料理店を出店した。

この二つの店は大層繁盛した。かばはうすHDは山陰地方と東京圏の二拠点で展開していて、当時東京圏では15店舗展開していたがその店はたちまちにして同社の売上ナンバーワン店舗となった。平日のランチタイムは二つの店で300食を売っていたという。

 

さて、出店してから10年がたち二つの店にビル側から契約更改の打診があった。かばはうすHDは継続する意思があったが、先輩経営者の会社は別の企業に譲渡されていて、その譲渡先では継続しないという。するとこのビルの地下1階の飲食店は60坪の「炉端かば」1店舗のみとなる。後に知ったことだが、ビル側では空くことになる100坪のスペースに小売店を誘致する計画を立てていたという。

 

「それでは『炉端かば』は成り立たない」と考えた松田氏は、自社でこの100坪を借り上げて、飲食店で埋め尽くそうと計画を練っていった。そこに参画したのが冒頭で述べた3社であった。

このように松田氏は、飲食業への情愛に熱く、俊敏な行動力を持つ人物である。

店舗の区画が整理されていなく雑然とした雰囲気が横丁の魅力

 

東京で体得した「県人会」のつながり

松田氏は1974年7月生まれ。島根県安来市で育つ。京都の調理師専門学校で学んだ後、母が始めた居酒屋を引き継ぐ。1996年のことだ。後にカウンターだけの同店を150席の店に変えて、「朝まで営業」や「年中無休」のスタイルを取り入れた。さらに「日本海の魚」を中心にしたメニューに刷新したことも手伝い、「炉端かば」は繁盛店となり、隣県の鳥取県でも展開するようになった。

 

山陰に6店舗を出店した段階で、「これ以上山陰で店を出せる余地はない」と考えるようになった。そこで、東京に挑戦することを決断する。根拠はないが「30歳で東京に進出」「40歳でアメリカに進出」と思い込んでいた。アメリカでは現在3店舗を展開している。

 

東京には2006年に進出。東京1号店は新宿3丁目である。この物件獲得には思いがけなく苦労を重ねた。不動産業者との面談を重ねるが、ことごとく「東京で実績のないところには貸せない」という。ようやく獲得できた新宿3丁目の店舗は開業して1カ月間まったく不振であった。しかしながら、東京で商売をすることの光明を見出した。

 

それは「県人会」であった。島根県・鳥取県の出身者で東京在住の人が「炉端かば」は山陰地方からやってきた店であることを知ると、みな情愛を深くして店を利用してくれた。

 

その後、「炉端かば」の島根・鳥取での繁盛ぶりをよく知るデベロッパー関連業者から、都心の再開発ビルへ出店のアプローチを受けた。そこで都心での店舗展開を進めていく。これが大ヒット。前述した2010年の品川店、2012年の丸の内店と繁盛事例が続いていく。客単価4000円で「山陰の魚介類」というキャッチがそれに親しんでいる人たちにとって強烈な魅力を放った。

 

いつしか、山陰地方と東京という具合にかばはうすHDの拠点が二つになっていた。とはいえ、東京で店長を務めている人物はみな山陰地方で3年、4年と働きキャリアを積んで派遣されている。松田氏もさることながら、東京の店長たちも二つの拠点が遠隔地にあるという感覚がないという。

フルオープンを迎えて店内のにぎわいも定着するようになった

東京に居て地元とのつながりが強くなる

山陰地方と東京という物理的に二つの拠点があることでの大きなメリットは、東京にいて山陰地方の生産者との結びつきが強いということだ。山陰地方で展開する店舗もさることながら東京の店舗も山陰地方の産品を使用している。こうして山陰地方の生産者との協力関係が築かれていき「山陰活性化プロジェクト」に発展していった。「炉端かば」がこれらの産品を発信する窓口になっているほか、島根県奥出雲町の産品を提供する飲食店「神々の幸 島根県×奥出雲町」(有楽町)、さらに島根県松江市のアンテナショップ「縁雫(えにしずく)」(新宿)の出店をサポートするなど実績を重ねている。東京のお客がこれらの店を経験することによって、これらの町や市をはじめ山陰を観光するきっかけとしていきたいと考えている。

 

これまで、かばはうすHDは山陰地方で育った飲食企業として地元初の上場企業を目指してきた。しかしながらコロナ禍によってこの方針を取りやめた。同社では「われわれが目指していることは山陰を元気にすること。その原点に戻ろう」と判断した。

 

「かば」は初期の料理長のこと。この音は「山陰料理の店」とともに記憶に残る

ちなみに店名の「かば」とは創業当時の料理長のあだ名だという。それ以外の何物でもなく、店名に意味がない。

「ただし、“かば”という音は一度聴いたら絶対に忘れられることはない。山陰地方の食材や文化にこだわり続けるわれわれの姿勢を“かば”がきっかけとなってお客様に深く記憶される存在になっていきたい」と松田氏は語る。

 

「山陰活性化プロジェクト」は地元で中学校の野球チームの支援や、サッカー大会、グランドゴルフ大会などを開催している。市川海老蔵氏の歌舞伎も開催した。これから「かばっこ会員」という仕組みをつくり、3世代4世代につながっていく地元密着の活動をしていきたいとしている。かばはうすHDは山陰地方で創業し地場固めて、東京に進出して山陰地方と東京との結びつきを強くした。このような成り立ちが地元にさまざまな形で貢献する企業文化を築いていると言えるだろう。

 

店舗情報

店舗名 炉端かば
エリア 品川
URL https://shop-robata.jp/

運営企業情報

企業名 かばはうすホールディングス
URL https://shop-robata.jp/