2019年は、靖國神社ご創立150周年記念事業で外苑休憩所の建て替えが行われた。「平成」から「令和」へと元号も移行し、靖國神社外苑も新たな装いとなった。

その一角に10月「靖國八千代食堂」がオープンした。この店舗を運営しているのは、神社との歴史や関わりが60年以上ある千代田観光土産品株式会社(本社/東京都千代田区)。そして、この事業を取り仕切るのは高取宗茂氏(現株式会社和僑ホールディングス会長:本社/東京都中央区)である。

和僑HDは、アルバイトを含め在籍従業員230名であり、居酒屋や和食料理店、ラーメン店、ステーキ店など関連5社10の業態を国内外に展開する飲食企業である。同社会長の高取宗茂氏は日本の外食業界を牽引する存在であり、外食業界専門誌「日本外食新聞」でコラムを連載している。そんな高取氏に新たにオープンした「靖國八千代食堂」に込めた思いや、グループ全体の運営を行う上での信念について伺った。

 

靖國神社外苑にオープンした「靖國八千代食堂」

――靖國神社外苑の「靖國八千代食堂」はどのような思いで開店したのですか。

靖國神社ご創立150周の節目、外苑休憩所建て替えに伴い、英霊と靖國神社より指名頂き大役を拝命賜りました。2018年の初秋「高取さんらしい、靖國神社のおもてなしの心を体現したお店を創って欲しい」とのお話を頂きました。

日本中に約65万店の飲食店がある中で、靖國神社へ出店できるのは我々1店舗のみ。これはとても名誉なことです。そこで「日本の外食産業全体を代表して、まともで筋の通った店舗を創る」という気概を持って店づくりに取り組みました。

創業者は基本的に自分で始めた事業を自分で辞めることが出来る権利を持ちます。極端に言えばどんな事業でも「やーめた」と言えるんです。親から継いだ、もしくは代々続く事業に関しては、おいそれとそうは言えない。そしてこの靖國の事業も同じく、私が死んでも継続して残っていくべきもの。つまり、自分の意志で辞めることのできない業態に初めて関わったと言えます。そういう店の事を「公器(こうき)」といいます。

この店舗は、靖國神社のおもてなしの心や、英霊、戦没者のご遺族、崇敬者、そして日本人全体の想いや総意を受け継いでいくものであり、決して一営利企業の考え如きを表すばかりのものではあってはならないと考えました。

 

――そのような思いの中でどのように業態を決定したのですか。

この店舗は私の寿命よりも、はるか永く続くものにしなければならない。私もこれまで多くの業態開発をしてきましたが、10年以上続いているものは全体の3割程度です。飲食店を長い歴史の厳しい淘汰に耐えられるものにするには、奇をてらわず、王道のど真ん中を歩ませなければならず、創り上げるにはそれ相応の歴史軸や思想、信念が必要となります。

それを踏まえて、今回の店舗では柱となるメニューを2本考えました。

1つ目は、靖國神社のご創立150周年、つまりは明治維新・戊辰戦争から150年を迎えたということですので、俗に言う「官軍側」にあたる英霊が祀られている靖國神社で、歴史の悲劇として「賊軍」とされてしまった会津藩、庄内藩に関連したものを出そうと考え、会津米と庄内そばを1本目の柱としました。民族融和の象徴として何かシンボルが欲しかった。

2本目は、かつて「特攻の母」と呼ばれていた「富屋食堂」の鳥濱トメさんの玉子丼です。第二次世界大戦の終戦間際に、沖縄に最も近かった本土の飛行場は鹿児島の知覧にありました。

アメリカ軍の沖縄進攻に伴い、沖縄各地の戦闘が激しくなる中で、沖縄救出、祖国防衛のため、全国から若い飛行兵たちが特攻隊として集められ、何百、何千もの日本男児がアメリカ艦艇に向かって突っ込んでいったんです。

そして、彼らは出撃が決まると「明日、出撃が決まりました」と、富屋食堂のトメさんのところに最後の挨拶に来ていたそうです。物資の無い中トメさんは、今生の別れとして最期の玉子丼を彼らに出していたといいます。注いでも注ぎきれないほどの愛情が込められたほんのり甘い玉子丼は、各地から知覧に来ていた若者にとっては紛れもない母の味だったと思うのです。

そんな玉子丼を食べて飛び立った彼らは、互いに「靖國で会おう」と誓い散華されました。中には、靖國神門入って右側の桜の下で部隊集合、と誓い合った部隊もあったといいます。そんな彼らが祀られる神社内にトメさんの玉子丼が寄り添うことは、「あれ?なんかお母さんの玉子丼の匂いがする」と英霊にも思って頂けると。それこそ最高の慰霊顕彰になるのではないかと考え、この玉子丼を提供することを決めました。

 

靖國神社150周年の休憩所建て替えに伴い、開店した「靖國八千代食堂」

 

――「トメさんの玉子丼」はどのようにして再現したのですか。

トメさんの玉子丼を提供するについては非常に難航しました。実は現在でも鹿児島の旧知覧基地の近所で、トメさんのお孫さんでもある鳥濱明久さん(現ホタル館富屋食堂館長)が「知覧茶屋」という食堂を営んでいらっしゃいます。交渉のためにそこへたどり着くまでにも相応の時間を要しました。

実際にサシで直談判させて頂いた時は、明久さんも私も互いに胆力の必要な時間となりましたが、靖國の名の下に想いが結実したと思います。なにせ知覧の本家でも玉子丼はメニューとしては存在しておらず、鳥濱家の厨房からは一切の門外不出のメニューだったんです。

知覧にはトメさんの時代から明久さんへ受け継がれている甕仕込みの出汁醤油があって、それをベースに玉子丼の割り下を知覧で作って頂き、毎週靖國神社へ送ってもらっています。知覧の地で想いを込めて割り下を作って頂き、その想いも一緒に玉子丼として提供したい。そうしなければ英霊にきちんと想いを届けられないと考えました。

実は玉子丼は少しだけ値段が高めです。トメさんのお孫さんは知覧で特攻隊に関する資料館「ホタル館富屋食堂」も運営しておられるので、その玉子丼に使用した割り下の収益は、そこの維持、整備事業にも使って下さい、とお願いしました。

靖國神社から知覧への貢献をする。これは実は靖國神社の歴史上初めてのことです。

 

この「玉子丼」を涙を流しながら食事をする人もいるという

グループの根幹、そして、外食産業全体の根幹は「愛情」

――これまでさまざまな業態を展開されていますが、それぞれにどのような思いを込めてきましたか。

私は飲食店を運営するということは「自分が正しいと思ったものを世の中に問うこと」だと思っています。自分の信念を世の中に問い続け、努力して、それが受け入れられなければ店は潰れてしまう、というだけのことです。

現在、外食産業のマーケットは縮小傾向にありますが、そこで大切なことは、「ここでなければ成り立たない」というビジネスを構築することだと思うのです。「自分たちは、なぜこの場所で、誰に向かって事業をやるのか」という意味を問うことができる場所でないといけません。

一方で、これまでの日本の外食産業の傾向として、店や会社の規模が大きくなるにしたがって効率化を重視し、料理のクオリティよりも「こだわる場所が変わっていく」風潮があります。そうすると、中には、安かろう、悪かろうのものに手を出すこともあるかも知れません。しかし、私たちグループはそれを行わないことを信念としています。私たちグループの根幹は「お袋の味」「人を想う愛情」なんです。

――「愛情」とは、具体的にはどういうことでしょうか。

我々の産業は、労働集約型といわれるように、人がいなければ成り立たない仕事です。ビジネスとして営利を出すことはとても大切ですが、飲食店経営者の中には、外食産業をお金儲けの手段にしている人もチラホラと散見されます。

生き方は人それぞれですので、とやかく言う筋合いは一切ありませんが、少なくとも私たちはそうはありたくない。叶うことならお客さんをはじめ関わる人全ての幸せを望みたい。

例えば今回のような「靖國八千代食堂」の場合、お客さん、参拝者、靖國神社の方々、靖國の英霊、我々のお店に納品してくれる業者さん、スタッフも、全ての人が「幸せ」と感じられるお店にしたいと考える。

私は、今まで色々と悩んで来て、最後にたどり着いた経営の本質とは「統率」だと思っています。そしてその統率行動の究極の姿とは、本気で部下がトップの為に命を捨ててくれる組織だと。その辺に転がってるマネジメント論やリーダーシップ論ではそういう命のかかった組織には到底太刀打ちは出来ません。

今まで何度も何度も失敗して、結局人間の根幹は相手を思いやる感受性であり、それを持つ人こそ本当の意味で組織の「統率」が可能になると感じています。

そして、感受性の本質とは「愛情」で、結局は相手の痛みを自分のものとして感じることが出来るかどうかだと思います。今まで散々人を傷付けて生きてきました。なので、感情を経由させずに理論や理屈で人を動かそうとしてきましたが、そういうチームほど動かない。

人が動くのは、「情」と「情」が触れた時です。「感応道交」という言葉があるように、お互いの感情に触れたときにはじめて気持ちが通じ合います。こんな簡単なことに気付くまで私は30年以上かかってしまいました。

株式会社和僑ホールディングス会長の高取宗茂氏

「トメさんの玉子丼」は「お袋の味」の象徴

――感受性の本質は「愛情」ということに、どのようにして行き着いたのですか。

私の実家は日本で最も古い世代の調理師学校を営んでいました。祖母は全国料理学校協会の副会長を歴任、子供の頃から料理に触れて育ってきたんです。

私が小学校高学年くらいの頃、実家の調理師学校のゲスト講師で招かれた有名な料理人に「良い料理人の条件は何か分かるか」と聞かれたことがありました。私は「おいしい料理をつくることだと思います」と答えると「半分正解だけど半分間違い」と言われました。何が正解なのか聞いたところ、こう教えてくれました。

それは二つあって、一つは「冷蔵庫を開けて、そこにあるものでおいしい料理をつくれること」。もう一つは「相手のことを一心に思う愛情をもってつくれること」。

そして、それを行っているのが「お母さん」なのだと言う。お母さんは冷蔵庫を開けて、子供のこと考えながら、「風邪気味だから体に良いものにしよう」「明日運動会だから精のつくものにしよう」「この野菜が嫌いだから細かくして食べやすくしよう」という具合に、365日その子のことを一心に考えて料理しています。

一方で、その講師の方は「こういうことをプロの料理人はやり切ることはできない」と言いました。我々料理人は準備しているメニューを、食べたい気分のお客さんが食べたい時に来店してくれる。ご来店頂いたお客さん全員の体調や要望に合わせて毎日365日全く異なる料理をそれぞれに作ることはなかなか出来ない。と。

だから、腕の良い料理人になればなるほど、「我々はお袋の味には負ける」と口を揃えて言うのです。

 

――「お袋の味」とはどのようなものだと考えていますか。

私は幼い頃から母親がいなかったため、「お袋の味」というものを知りませんでした。ただ、飲食店を何年も続けてきて、「食の大きなジグソーパズル」を埋めてようとしてきたんです。

30年の月日が経ち経験を重ねるに連れ「お袋の味」のピース以外はほぼ埋めることが出来たと思います。ポッカリと空いた最後の1ピース。そこをずっと見つめてきて、そのピースがどういう形か、どういう絵柄が書いてあるのかおおよそ「察し」ながら理解してきたつもりでした。

これが「お袋の味」だという確信は無いながら、日本の食文化の原点はそこにあると、察することで表現し続けてきたのです。それはある意味オカマの所作が女性よりも女性らしいように、美化して聖域化していたものだったのかも知れません。それほど憧れの味だったんです。表現悪いですけど(笑)

それが最近、自分がつくるものの中に「本物のお袋の味」を感じる機会がありました。友人から、特攻で出撃する彼らに、トメさんが食べさせたあの玉子丼こそ、究極のお袋の味じゃないか。と言われたのです。そうだった。自分はずっと探し続けた答えと、ようやく出逢うことが出来た、とハッとさせられたんです。

奇しくも、特攻隊員が愛した母の味が、私にとってかけがえのない味となりました。私たちグループの根幹でもある「愛情」を、身をもって教えてくれたのは、かつて日本人同士が最も美しく、激しく生きた時代に、明日死なねばならなかった彼らが心から愛した人だったのです。

店舗情報

店舗名 靖國八千代食堂
エリア 靖國神社

運営企業情報

URL https://yasukuni-yachiyo.com/

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