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  3. 喫茶店経営をベースにホルモン業態を展開し基盤を固める

東京・新宿三丁目は異空間である。伊勢丹や丸井本館の洗練された商業空間から一変して人間臭い空気が漂う。大勢の人が日暮れ前から飲食を楽しみ、笑い声が聞こえてくる。

この一帯をこのようなワンダーランドに変えたのは「日本再生酒場」ではないか。末広通りの入り口にあり、立ち飲みの店から人があふれテーブルにしたドラム缶の周りに群がっている。この繁盛ぶりは見ているだけでワクワクしてくる。

 

同店がオープンしたのは2003年6月、経営はい志井グループである。同社は東京・調布を本拠地としてさまざまな飲食店を展開してきたが、都心の新宿で商売をすることを志して2001年、新宿三丁目に「新宿ホルモン」をオープンした。入り口が冷凍庫の扉で店内は昭和三十年代の映画の壁画というこだわりが濃厚な空間で、ホルモンはフレッシュで臭みが全くなく、たちまちにしてなかなか入ることのできない人気店になった。そして、「日本再生酒場」、その向かいの「ホルモン横丁」と点が線でつながり、い志井グループの「面」が新宿三丁目に形成されていった。このエリアにグループの店は現在8店舗ある。

 

コーヒー豆卸業者としてい志井グループと出会う

この「面」を支えているのは「もつ煮込み専門店 沼田」である。2006年3月に初めてこのエリアに出店して、現在では同じような業態の店を4店舗展開している。経営は有限会社珈琲新鮮館(グループ本部/神奈川県相模原市、代表/沼田慎一郎)。1994年7月に代表の沼田慎一郎氏の父が喫茶店経営を立ち上げたことがはじまりで、沼田氏は97年から経営に加わった。

株式会社珈琲新鮮館、代表取締役の沼田慎一郎氏

相模原の喫茶店と新宿三丁目の居酒屋とはどのような経緯で成り立ったのか。それは沼田氏の真摯な行動力とい志井グルーブ会長の石井宏治氏の懐の深い人柄が出会ったことがきっかけである。

 

沼田氏は喫茶店経営をベースにコーヒー豆卸事業を99年より始めた。自社で焙煎したコーヒー豆を車に詰め込み、タウンページに掲載されていたあらゆる飲食店に営業して回った。

こうして生まれた取引先の一つがい志井グループであった。同社では調布に「クリスマス亭」という洋食店を営業していて、新宿三丁目でもつ焼き店を経営しているとは知らずに飛び込み営業をして取引をしていただいていた。

 

石井氏は人付き合いの良い人で、親しくなった人とはさまざまなところに出かけて交流を深める。こうして沼田氏は石井氏を「兄貴」のように慕うようになった。

ある時、沼田氏は石井氏に相談を持ち掛けた。「自分はコーヒー事業の他に、もう一つの軸が欲しい」と。

すると石井氏は、「俺が教えてやるよ」という。こうして沼田氏は「日本再生酒場」でホルモンの扱い方や商売について実地で教えてもらえることになった。

新宿三丁目をい志井グループの人情味あふれる雰囲気を支えている

新宿三丁目にい志井グループの「面」ができ上がる

筆者は当時の沼田氏のことを鮮明に覚えている。連日大繁盛の厨房の中に、とても真剣な表情の青年がいた。居酒屋とは別の業界から入ってきたようで、新しい人生を切り拓くという意欲が放たれていた。このような当時の印象を沼田氏に伝えたところ、「背水の陣で、必死になってのぞんでいた」と語った。

 

こうして2006年3月新宿三丁目に「もつ煮込み専門店 沼田」がオープンした。13坪の店だが3年後に取り壊すことが決まっていて、比較的に低い家賃で営業することができた。とは言え、サブリースの分割払いもあって、さらに店を移転させる資金を積み立てる必要もあり大変だった、と振り返る。

そして2009年4月に「日本再生酒場」と一本道を隔てた場所に移転オープン。店名の筆文字が同じ書体であることから「日本再生酒場」のグループ店舗であることが伝わり、ここから新宿三丁目のい志井グループが「面」として盤石なものとなっていった。この後は商業施設に出店するようになり、6店舗までは全て異なる業態で出店していった。

エージングされた看板が「昭和」の雰囲気を醸し出している

 

転機となったのは、2014年1月横浜・馬車道に「肉塊バル ANCHOR GROUND」をオープンしたこと。沼田氏の知人がカフェを営んでいた物件でそれを居抜きで引き受けて「肉バル」の営業をした。同店は社内独立用の店舗として方針を定め、2017年10月元社員が株式会社ANCHOR GROUNDの社長に就任し、2店舗を経営している。現在、珈琲新鮮館とANCHOR GROUNDでグループを形成し10店舗を擁している。

 

「もつ焼き屋」の革命「パーシャルスノー物流法」

さて、い志井グループでは鹿児島大学、食肉加工や卸を行うカミチク(鹿児島市)と共同で2017年に「パーシャルスノー物流法」を開発し、グループの全店で使用すると共に、これを使用した飲食店のプロデュースを行っている。

 

この要となる「パーシャルスノー液」はホルモンの保存液をヒントとしたもの。本来は人間の臓器移植で臓器の輸送時に使われるパーシャル液の技術を応用した。

普通の水は細胞に対しての浸透圧が高いために臓器を水の中につけておくと水が入ってしまう。空気中に放置しておくと乾いてしまう。しかしながら、バーシャルスノー液の浸透圧は臓器の細胞と等張であるために、細胞の中に入ることはなく細胞から成分が抜けてしまうこともない。

 

「これを食肉に応用してみたらどうなるだろう」という気付きが生まれ、どのような現象が起きるのかを鹿児島大学に研究してもらい、2年間ほど実験した結果、世に出た。

2009年4月、新宿三丁目の角に移転オープンした「もつ煮込み専門店 沼田」

 

内臓を扱う業者にとって、これまで内臓を移動させる時にはラップに包んで運んでいた。通常ラップに包んだままだと3日間経過すると菌数が増えてしまい、味が落ち、またドリップとして肉汁が出てしまい、どんどん劣化していく。これを防ぐためには冷凍するしかなかった。

 

これがパーシャルスノー液で何ができるようになったか。まず、浸透圧が等張なので、水も入らないしドリップも出ない。空気に触れないので菌が増長しない。冷凍しないので細胞は壊れることなく、その後のドリップも出ない。10日間経過したレバーもぷりぷりの状態になっている。

 

パーシャルスノー液を使用した肉はい志井no COCOROという会社が管理していて、沼田氏はこれらの広報的な立場で関わり、また代理店的な機能を果たしている。

 

い志井グループの全店でパーシャルスノー物流法を採用しているが、これによって各店舗の働き方は劇的に変わった。

これまでの「もつ焼き屋」とは、食材との闘いであった。内臓の仕入れは、当日の朝に屠畜したもの、ないしは前日の最後に屠畜したものを仕入れていて、これが交通事情で遅れたりした場合は、到着して大急ぎで串打ちして、これらをその日に売り切って営業が終了――このようなことの繰り返しであった。だから週末などで人材が不足している時には大変なことになる。

 

ご縁を大切にしながら歩みを止めない

パーシャルスノー物流法を取り入れた「沼田」では、次のような変化が現れた。

まず、肉や内臓は週に3回、ないし4回、定量が定期に届くようになった。そこで、店の中の人材が多い少ないとは関係なく、人材が整っている日に仕込みに集中するようになった。

肉を切って、串に刺して、パーシャルスノー液に漬けておけば肉の状態が変わらない。この状態であれば、その日に売り切らなくても状態が変わらない。これまでは仕込んだものを売り切ることに専念していたため、営業時間中に「タンなくなりました」「ハツなくなりました」という品切れが起きていたが、これによって品切れはなくなった。

串に刺したものが残っても翌日に使うことができることから、チャンスロスがなく常においしい状態を保つことができる。

 

シフトコントロールも余裕を持って行うことができるようになり、生産計画が立つようになった。「明日予定していたアルバイトさんが来られなくなったから、今日の仕込みは多めに行おう」「週末分の仕込みを平日のパートさんたちにやってもらおうよ」という具合である。

 

また、年末年始に営業する場合、屠畜が行われていないためにかつては致し方なく冷凍の串を使用していた。それが、ぷりぷりの串が十分に整うようになった。これは実に革命的なことである。特に、年末年始は決して休業してはいけない商業施設内の店舗にとっては至宝の技術である。

 

沼田氏はこの技術によってもたらされる「もつ焼き屋」の改革を「共に学び、成長するというスタンスでのぞんでいきたい」と語る。

自社グループのモットーは「成長過程に合わせて、ご縁を大切にしながら歩みを止めない」というもの。そして、「学びなき成長をしない」ということを肝に銘じている。

い志井グループ会社の石井宏治氏のビジネス観は「ビックな会社より、ナイスな会社を」と称されるが、新宿三丁目にやって来る人々は、このエリアに漂うこのような空気感を慕っているのだろう。

「沼田」の顧客も若い世代に受け継がれている

店舗情報

店舗名 もつ煮込み専門店 沼田
エリア 新宿三丁目

運営企業情報

URL coffee-shinsenkan.com

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