今東京で「焼肉店の新興勢力」として論じられているのが「炭火焼ホルモン ぐう」(以下、ぐう)である。八重洲エリアに3店、新宿エリアに2店、そして新橋、渋谷、五反田、池袋、築地と計10店舗展開している。
なぜこのような評判を得ているのか。それは一言で言って「お値打ち感が高い」ということだ。
客単価は5000円足らずであるが、焼肉店の経験値の高い人であればあるほど、「この価格で、これほどのおいしい体験ができるとは」という具合にたちまちにファンになってしまう。決して“安さ”を訴求するわけではなく、高級感を醸し出す仕掛けがあるわけではなく、焼肉のメジャーなゾーンに正直に臨んでいるという印象を受ける。
同店を経営しているのは株式会社ユニバーサル・ダイニング(本社/東京都江東区、代表取締役/呉成煥〈オオ・ソンファン〉)である。

株式会社ユニバーサル・ダイニング代表取締役の呉成煥(オオ・ソンファン)氏

八重洲の8坪の物件を獲得し飲食業を行う決断

呉氏は1968年6月生まれ、東京出身。
不動産業に従事していたとのことだが、焼肉店を展開することになった経緯をこのように語ってくれた。
当初、先輩が経営する不動産会社に勤務していたが、2003年9月に仲間と一緒に不動産業を立ち上げた。
それが株式会社アセットインベスター(本社/東京都中央区、代表取締役/東憲)という会社でユニバーサル・ダイニングの母体となる。

焼肉店を始めることになったのは、創業の店となる八重洲本店の物件と出合ったことがきっかけである。
そこは東京駅を目前とした八重洲仲通りの路地裏。2階建て建物の1階部分で8坪の物件。
以前は居酒屋を営んでいた。その元持ち主は、呉氏の知人の知人であった。
本来、不動産事業者の発想に立つとそれを転売するか、大家となって人に貸すか、ということになるが、どうしようかと話しているうちに「自分たちで飲食店をやってみよう」ということで話がまとまった。
「じゃあ、料理のできる人間がいる」ということで初代店長となる人物を探して来た。
「8坪で場所もいいので、立ち飲みをやってみようか」となった。
そこで立ち飲み店のリサーチを毎日のように行った。

しかしながら、この物件は路地裏で人も通らない場所にある。
今でこそ八重洲の一帯は飲食店でにぎわっているが、当時は新橋のやつれたミニチュア版のイメージがあった。
「では、何の業態が良いか」と話し合っているうちに、「自分たち韓国人にとって馴染みのある焼肉店をやろう」とまとまった。
そこで店長となる人物を焼肉店に修業に行かせて、店舗デザインも後輩に依頼した。
工事はのんびりと時間をかけて6カ月ほどを掛けた。
その理由は、工事が速く進んでも、修業が伴わないと意味がないと考えていたからだ。
こうして、フルリニューアルで8坪20席の店をつくった。2006年10月のことである。
呉氏の世代に近い同胞には「トラジ」「正泰苑」など、有名な高級店を展開している経営者が多く、「新規参入のわれわれが、彼らと肩を並べて商売をするのはおこがましい」と考え「ホルモン焼」をうたうようにした。

 

創業の店舗である八重洲本店は去る3月15日に増床リニューアルオープン、連日満席が続いている

焼肉店の経験値の高さを自認して試食会を繰り返す

呉氏をはじめとした飲食業プロジェクトのメンバーは焼肉店の経験値が高く、食味を見極めるレベルは高いということを自認していた。
そして、店が出来上がってから試食会を重ねた。
「ホルモンだったら〇〇(店名、以下同)、カルビだったら〇〇、スープだったら〇〇という具合に、それぞれの最高品質の店を知っていて、その食味レベルがきちんと記憶にあり再現できる。
それを基準にして、試食のたびに調理の人たちに駄目出しをしてきた」
こうして呉氏をはじめとしたプロジェクトのメンバーにとって理想の焼肉店が出来上がっていった。
八重洲の飲食店の先輩経営者から受けたアドバイスは、「1日10万円を売れば御の字だろう」「八重洲の客単価は3000円くらい」ということだった。
経験値の高さに自信を持つ呉氏たちは「でも、焼肉店は5000円くらい払うだろう」というような感覚で業態を造り込んでいた。このように正確にリサーチすることなく、全てを肌感覚で決めていった。
試食の結果、メニューがまとまり「今度は、オペレーションを整えよう」と考えて、12月の1カ月間、毎晩のように知人を呼び寄せて「満席の練習」を行った。
そこで参加者に「どうだった」と質問しては改善をするようにした。

こうして「炭火焼ホルモン ぐう 八重洲本店」は、2007年の年初の1並びで「1月11日」にオープンした。

「満席の練習」によって「とてつもない繁盛店」と知られる

オープン前のトレーニング期間中、八重洲を訪れる人たちの間で「何屋か分からないが、とてつもない繁盛店がある」と知られるようになっていた。
その繁盛ぶりにつられて、見知らぬ人がお客さまとして訪ねることもあったが、これらの人は全てお断りしていた。

このようなことから、実際にオープンしてからお客様が続々と来店するようになり、土日を休業していたにも関わらず初月で200万円を売り上げた。3月には400万円を売り上げて、直ぐに600万円に到達した。

連日100人程度をお断りするようになったことから、そのオーバーフローを吸収するために30mほど離れたビルの6階に「はなれ」(24坪35席)を2008年11月オープンした。
本店を訪ねたところ満席で入れないお客様をすぐにはなれに案内するようにした。

3号店は2011年6月、新橋。家賃75万円15坪。
ここで苦戦することになる。八重洲での業績が良いために販促をするという発想がなかったのがその要因であった。
家賃が75万円のところに売上が300万~400万円程度であった。
八重洲の2店は「じゃぶじゃぶの繁盛店」(呉氏)となっていたものの、利益がそれほど出ていなかった。
それはすべからく管理が放漫であったことに起因する。福利厚生として毎月50万円計上していたり、採用費を毎月70万円程度払っていたり、
そのような状態の中で、呉氏が経理を見るようになり、これらの体質を見直すことによって大きく利益を出すようになった。

経営上のアドバイスを同胞の焼肉店経営者から受ける

フードサービス業の基本であるQSCという概念も、FLの基準値も、この頃に知った。ことごとくが「走りながら学んでいく」という状態であったという。
同胞の焼肉店経営者たちから「そんなことでよく経営してこられましたね」と言わることが度々であったという。これらを財務的に支えたのが八重洲の2店であった。

2012年10月に、渋谷の物件のオファーがあり、5号店を出店した。55坪という大箱である。この時「最上階に出店するとコストが抑えられる」ということを教えてもらい、その通りに最上階に出店することができた。家賃交渉をして2割程度下げてもらった。勘と経験だけで進めてきた経営に対して、焼肉店を展開する同胞たちが逐一教えてくれた。こうして「ぐう」の経営基盤が整っていった。

アルバイトの採用もほとんどが同胞の人脈で賄うことができた。接客のトレーニングも自前で行った。
呉氏は「何しろ、お客様がたくさん来てしまうので、外部の指導を仰ぐことの重要性を感じることはなかった」と語り、チェーン店という在り方が嫌いであったことから、それに倣うことをしてこなかった。

しかしながら、店舗数が増えてくるにともない、従業員が入れ替わるようになったことから「ぐう」の接客の基準を定めて、マニュアルを2年前に整えた。

FCは2018年7月に1店舗出店しているが、これからは「ぐう」のクオリティを維持する上で積極的には受け入れていく意向はないという。「ぐう」の今後の店舗展開は1年に1店舗のペースを想定している。

ぐうの魅力は客単価5000円近くの中で満足感がとての高いこと
肉は定番の他、黒板でその日のお薦めがラインアップされている

FC展開を想定しオペレーションが軽い「もつ焼よし田」を開発

さて、同社では新業態の「もつ焼よし田」を2018年2月、東京・門前仲町にオープンした。
メインの商品は切ってタレや塩ダレで揉んだもつをお客様が自前で焼くというもの。単品が280円~380円、盛合せ580円となっている。おしぼり、灰皿、氷をセルフサービスにして、オペレーションを軽減させている。客単価は2000円前後となる。
この業態を開発した狙いについて呉氏はこう語る。
「ぐうを展開してきた過程で、スピードアップが難しい部分を改善して、この業態を組み立てました。それは人材の育成です。ぐうではこの部分を急ぐとクオリティが下がってしまう。そこでもつ焼よし田では、調理マニュアル、接客マニュアルを造り込みました」

FC志向の「もつ焼 よし田」を開発したことで出店のチャンスが広がった

提供するもつはあらかじめ低温調理して、生の食材を扱うよりもハードルを低くした。営業時間を15時から23時にして、従業員は電車で帰ることができるようにした。今後はこの業態のFC展開を積極的に行う意向だ。
同社では「ぐう」と「もつ焼 よし田」という2つの業態を持つことによって、1等地では「ぐう」を展開し、それとは異なる立地に「もつ焼よし田」を展開していく意向。2号店は2018年11月、東京・菊川(都営地下鉄)にオープンした。
このように、同社は外食企業としての態勢が整ってきて、「2021年までに20億円の事業体にしていきたい」(呉氏)としている。

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