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東京駅前丸ビルから「鹿児島」を発信

東京駅前の丸ビル6階に「どん薩摩」という鹿児島をテーマにした居酒屋がある。同店は鹿児島市内に本拠を置き、市内に6店舗展開する株式会社Never Land(代表取締役/加世堂洋平)が2018年10月にオープンした。同社の東京出店は、これまで2015年3月「特攻チキン野郎 TOKYO」(青山)と同店4月「かごっまふるさと屋台村 TAGIRUBA」(池尻大橋)をオープンしていて、東京での基盤を固めつつある。

東京駅前の丸ビル6階にある同店。「鹿児島」発信する上では素晴らしい立地にある

「当社のミッションは『鹿児島の食を日本全国、世界へ』ということ。そこで丸ビルの物件が獲得できたことから『東京の事業はここで勝負をかけよう』と、青山の店舗を丸ビルに移転する形でオープンした」
同社社長の加世堂洋平氏はこう語るが、その狙いが的確に伝わっているように感じられる。
鹿児島市の城山では、正午を空砲の「どん」という音で知らせるが、「どん薩摩」はその鹿児島の日常のイメージで店名とした。

おなじみとなっているお通しは薩摩の出汁(カツオ節)を使用した「茶碗蒸し」480円で、鹿児島産の魚、肉、野菜に加えて、地元の焼酎を50品目ラインアップして、客単価5500円、29坪53席で月商1200万円で推移している。

飲食店の経験値の高いお客様が多く、店が鍛えられて良い方向に進んでいることを実感している

同店がオープンして既に半年近くが経過しており、加世堂氏は「丸ビルのお客様さまは視座が高い。よりクオリティの高さを求められる。われわれも自分たちがやりたい店づくりに妥協することなく、それを受け入れつつクオリティを高くしていきたい」――丸ビルへ出店したことが良い効果をもたらしていることを実感している。

楽コーポレーションの店で飲食業に目覚める

加世堂氏は鹿児島市内の高校を卒業後、神奈川・相模原にある青山学院大学の理工学部に進んだ。飲食業と縁ができたのは、東京生活を謳歌するべく頭髪を金髪にしたことが因縁となった。
「アルバイト募集」とあったパチンコホールにこの風体で訪ねたところ、店長らしき人から「募集は終わった」と言われた。後に金髪姿がよくなったのではと反省した。
むしゃくしゃした気分になり、やけ酒をしようと思ったところ、知人が東京・町田にある「まんまや汁べゑ」に連れていってくれた。同店は、数多くの居酒屋経営者を輩出している楽コーポレーションの店である。

同店の扉を開けた瞬間、加世堂氏の身体に衝撃が走った。店の空気感がそれまで経験したことがないものだった。
「ここで働きたい」という思いが高じて、店を出る時に店長らしき人に申し出たところ、「明日面接に来い」と言われた。その面接の時に「その金髪を黒に戻したら、採用する」と言う。
早速、黒髪に戻して、働くことを許された。

この店では3年3カ月間働いた。接客、料理のお薦めの仕方はじめ、商売の在り方の基本を学んだという。

大学卒業の時期が近づき、「社会に出たら、営業の仕事に就こう」と、webで「最も厳しい営業の仕事」を探し、先物買いの会社に就職した。「一番大変なところで一番になって、一番を取ったら辞めよう」と考えた。そして、念願通り「一番」となった。

そして、再び飲食業に戻った。町田にある「もぐら六段」という店で楽コーポレーションの出身者の店であった。ここで5年間勤務して、店長も経験した。そして独立開業へ進んだ。

2010年に鹿児島で独立開業してから5年後に東京へ進出した㈱Never Land代表取締役の加世堂洋平氏

朝仕入れた魚が残ったらお客様に無料提供

開業する場所の土地勘としては、鹿児島より町田の方が詳しかった。加世堂氏は鹿児島出身であるが、生まれ育ったところは鹿児島の中心部ではない。そこで、「初めての街でどこまで自分ができるか挑戦しよう」と鹿児島で起業することにした。
資金がないので、ホームセンターに毎日通い、従業員に道具の使い方などを質問しているうちに、その人が店づくりを手伝ってくれた。居抜きの物件だったので、大きな造作変更をしないで店を整えることができた。

その店が「特攻チキン野郎」(15坪32席)で2010年12月にオープンした。30歳の時である。
店名に「チキン」とついているが、鶏料理の店ではなく鮮魚の店である。「チキン」を付けたのは「弱虫」という意味に由来する。店名に「弱虫」と付けることで、自分を奮い立たせる狙いがあった。

同店はオープンしてから半年間ほど全く売れなかった。客単価は3500円を想定していたが、売上ゼロの日も多々あった。
しかしながら、「この店で働きたい」という人が続々と集まって来た。なぜだろうか。「それは、自分の店に対する姿勢が一貫していたからではないか」と加世堂氏は振り返る。朝市場に行き、その日に獲れた鮮魚を仕入れ、その日に使い切るということを心掛けていた。

オープン当初、お客様が少ない日は残った魚を捨てていたのだが、ある日「もったいないから捨てないでお客様に提供しよう」と考えた。
現在の常連客の一人が語るには、初めてチキン野郎に行ったときにこのようなことがあったという。
「夜10時ぐらいに店に入って、茶ぶりの刺し身を頼んだところ、刺し身が100切れ出てきた。もう一生分のぶりを食べた」
このようなことが話題になり、「チキン野郎は魚がおいしい店」という評判が広がった。
ここから店が爆発的に売れるようになり、2回転、3回転するようになった。

現在も魚は鹿児島の「茶ぶり」を強く打ち出している。「茶ぶり」の養殖は25年前から行われている。エサに茶葉が使われていて、ぶりが茶葉を食べることによって、茶葉の成分であるポルフェノールがぶりの余分な脂を分解する効果がある。

この生産者は加世堂氏の母方の叔父である。叔父は茶ぶりの生産を止めようかと考えていた頃に、加世堂氏が鹿児島で魚の居酒屋をはじめて、叔父から茶ぶりを仕入れるようになった。

店の活気が出会いと出店のチャンスを生む

店は繁盛してお客様が増えたが、加世堂氏の店で働きたいという若者も増えていき、「では十分な給料を支払うためにどうすればよいか」と考えるようになった。
そこで行ったことは、営業時間の延長。同じ店で、深夜から朝6時まで営業する店を「2号店」とした。「特攻チキン野郎」が夜の6時から12時まで営業、12時から朝6時までを「IZAKAYA戦士火の玉ボーイ」として営業した。2交代制ではなく、同じスタッフのままで制服を変え、メニューも変えて営業した。2011年4月のことである。

始めた当時、深夜のお客様は少なかったが、半年が経過するとお客様が溢れるほどとなった。当時は、その日の夜の仕込みがあるので朝9時まで仕事をしていたという。

このような店の活気が評判となり、さまざまな人が店を訪ねるようになった。これらの人の縁で、2012年4月商業施設にできた「かごっまふるさと屋台村」の中に茶ぶりの専門店「TAGIRUBA」を出店した。
この店は3.5坪カウンター8席で、当初店の売上を月商60万円に設定したが、売上をつくる情熱がたかぶり620万円を売り上げた。

その後鹿児島では2013年2月「ハイパーチキン野郎」、同年11月「ミラクルチキン野郎」、同年12月「キングオブチキン」と展開。ここでは総合居酒屋、ワイン業態にチャレンジした。店舗展開を優先したわけではなく、「みんなで仲良く楽しく働こう」と思いで営業することに努めた。

「飛行機で鹿児島に行くよりも価値を感じられる」

東京への出店は、2015年3月「特攻チキン野郎TOKYO」(青山)、同年4月「かごっまふるさと屋台村TOKYO」(池尻大橋)を出店した。
東京に出店した理由は、加世堂氏が東京で店長をしていた当時のスタッフやお客様が、加世堂氏が鹿児島で独立開業したことを知り、鹿児島の加世堂氏の店で働くようになり、このような人が6人いることから、これらの人を、出身地である東京に帰してあげようという発想からであった。現在、同社の東京マネージャーであり、「どん薩摩」の店長を務める石川麻奈美氏もその一人である。

このような従業員に対する深い思いやりは、同社の結束力を強くする要因となっているのだろう。同社の従業員は30代前後から40歳あたりで構成されているが、皆和気あいあいとしている。

さて、さる2月28日から3月5日にかけて東武百貨店池袋店で「大鹿児島展」が開催され、同社でも「TAGIRUBA」という店を出店した。これは鹿児島の「TAGIRUBA」に倣ったものだ。昨年に続きカウンター15席で、茶ぶりの刺し身をはじめとした鮮魚、地元の芋焼酎を提供。会期中の土日には60万円を売り上げることもあった。

「大鹿児島博」の「TAGIRUBA」では、「茶ぶり」815円、「焼酎3種飲み比べ」926円がお値打ちと好評

ある日、ここで食事をしたお客様の中に会計が1万8000円となった人がいた。食事もお酒も十分に楽しんだようだ。その人が加世堂氏に「とても満足した」と握手を求めてきてこう述べた。
「鹿児島に飛行機に乗って行くよりも価値があった」
加世堂氏は、「このような価値を求めるお客様の満足に応えていくことがわれわれの使命だ」と、自社の経営理念に対する思いを新たにした。

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