「観音山フルーツパーラー」というフルーツパフェ専門店が10月18日東京・銀座、11月3日表参道と相次いでオープンした。銀座店は昭和通りに面したホテルの1階、表参道店は明治通りに面した商業ビルの3階にある。オープンの告知には「これが和歌山の実力!」と書かれている。商品力に絶大な自信があることが伝わる。

 

ベーシックな「フルーツパフェ」1980円。季節のフルーツをバランスよくまとめた

これらの店を営んでいるのは和歌山県紀の川市の果物農家、農業生産法人有限会社柑香園(銀座店は直営、表参道店は共同経営)。明治44年(1911年)に果物農家として創業し、現在の経営者、代表取締役会長の児玉典男氏は5代目、代表取締役社長の児玉芳典氏は6代目となっている。

 

メニューは旬のフルーツを盛り込んだパフェがメインで、「フルーツパフェ」1980円(税込、以下同)、「レモンパフェ」1890円が定番。そして旬のフルーツを単品で構成した季節メニューが圧巻である。店舗オープン時は「いちじくパフェ」2390円、「柿パフェ」2390円などを提供していた。それぞれ熟したいちじく、柿が1個分使用されていて、まず見た目で驚き、食べてみて体全体が満足する。客層は女性ばかりと思いきや、若者、中高年に限らず男性一人というパターンもある。

 

 

6代続くチャレンジングな果物農家

アイキャッチの顔写真は5代目の児玉典男氏。同社は代々農業にチャレンジングに取り組んできたが、インターネット社会の到来にいち早く着眼した児玉典男氏は、これによって農家と消費者との距離を縮めて、農家がフルーツパフェ専門店を経営するという六次化のスタイルをつくり上げた。

同社の沿革を解説しよう。

 

初代は吉兵衛氏。払い下げのあった官有地を開墾して、みかん農家を始めた。明治44年(1911年)のことである。

2代目、長次郎氏は雑木林を開墾して果樹園の拡大に努めた。

3代目、正男氏は農業生産者であると同時に商才を発揮した。昭和元年(1926年)より個人で出荷を手掛けた。付近の農家からみかんを購入して、国内での販売と並行して北米や朝鮮・満州へと海外での販売を広げた。商標「ヤマチョー」を取得した。

 

「レモンパフェ」1650円。レモンを使用したシンプルな内容

4代目、政藤氏は出征先の満州より帰還。農地解放で所有農地の8分の5を手放すことになる。戦中・戦後のみかん園の荒廃は甚だしく、肥料不足によってその復興は困難であったが、昭和23年(1948年)より始められたカナダ向けみかん輸出に参画して、その見返り肥料を果樹園の回復にあてた。収入は増加したが所得税が重圧となり、それを合理化するために法人を設立、昭和37年(1962年)11月に農業生産法人有限会社柑香園に組織替えをした。同時に果樹専業農家となり、農協や任意出荷団体には加入せず、あくまでも生産と直売に徹した。

そして、5代目の典男氏に引き継がれる。

 

典男氏は三重大学農学部農芸化学科(現:生物資源学部・生物資源学研究科)を1972年に卒業後、柑香園に入社した。以来50年間農業の現場に携わっている。

 

就農して後、海外産オレンジが輸入されることによってみかんの需要が低迷。市場出荷を行っていたが市場価格も下がり始めたことから、スーパーとの直接取引を行うようになった。1990年代の半ば、インターネット黎明期の中でホームページを作成、個人への直接販売を行うようになった。

 

その後、見た目は良くないが味はいいフルーツを加工品にするために、フルーツ加工品事業も手掛けるようになった。

 

個人客向け販売が進化を遂げる

「観音山」のブランドは西国三十三巡礼札所に由来する。ここの特徴はすべての寺院が観音様を祀っていること。典男氏は地元に三番目札所の「粉河寺」があることに常々縁を感じていた。ここの一帯には観音という地名は存在しないが、昔からこれらの山々を通称「観音山」と称していたことから、柑香園の商品に名付けようと考えた。こうして「観音山」は2003年に商標登録した。

和歌山県紀の川市の果樹園の様子。左が5代目の児玉典男氏、右が6代目の児玉芳典氏

5代目がインターネットによって個人向け直接販売を全国に広げたことによって、販路が著しく拡大したと同時に、商品を購入した顧客からの声が直接届くようになった。これが果物農家としての生産意欲を高めていった。

 

「生産者にとって一番うれしいことは、自分がつくったものを消費者がどのような場所で、どのような表情をして食べているのかを見ることができるということ。『おいしかった』と言ってくれると素直にうれしいし、『あれはもっとこうした方がいい』ということであれば、改善するための意欲が増す。それを消費者の状況が分からない流通に頼っていると、消費者の反応が伝わってこないし、価格も業者に決められてしまう」(児玉典男氏)

 

さらに、柑香園が個人向け直接販売に傾注していく中で出来上がっていったことは、商品を一年間絶やすことなく販売するということだ。このために近隣の果物農家と連携するようになり協力農家は300軒となった。さらに、全国の産地とのネットワークが広がり、旬の果物のバラエティーが豊富になった。

 

個人向け直接販売の売上げは増え続けている。現状、顧客情報は30万件を保有していて、商品情報をメールで送信して購入動機につなげている。顧客の増加に伴って栽培面積が不足するようになり耕作放棄地約8haを借り受け、現在の果樹農園は14ha(東京ドームの約3倍)となっている。

このように旬の果物の年間を通じた安定した供給体制がフルーツパーラーを開業するアイデアにつながった。

 

ピーク時のウエーティングは3時間、200人

2018年に現在の本部である新社屋が完成。生産、加工、出荷、販売に加えてフルーツパーラーが一体となった施設となった。この「観音山フルーツパーラー本店」は同年4月にオープンした。

2018年に竣工した柑香園の本部。2階に「観音山フルーツパフェ本店」がある
「いちじくパフェ」2200円。熟したいちじくを1個使用している

同店は店内40坪、テラス席10坪で60席の規模。フルーツパフェは1品目2000円前後となっている。連休ともなるとウエーティングが200人で3時間待ちということが珍しくない。自動車のナンバーは沖縄、札幌という遠隔地のものもある。和歌山県の南側に位置するリゾートの白浜町の周遊観光で利用されている模様だ。

 

香園の年商は6億円となっているが、そのうちこの本店と関連商品の売上げで1億5000万円を占めている。

 

さて、「観音山フルーツパーラー」は本店がオープンしてからその魅力がにわかに広がり、FCを申し出る事業者が現れるようになった。2019年11月、12月と京都店、神戸店がFCとしてオープン、2020年6月南紀田辺店(和歌山県、直営)、2021年3月河口湖店(山梨県、FC)、7月岡山店(FC)、8月和歌山市店(FC)とオープンが続いた。今年はさらに銀座店(直営)、表参道店(共同経営)がオープンし、来年は尾道店(広島県、FC)と駒沢店(東京都、FC)が控えている。これで11店舗となる。ますます店舗数が広がる勢いだ。

銀座店の店内には現地で収穫している画像が映し出されて臨場感がある

第一次産業と第三次産業の距離を縮める

「柿パフェ」2310円。熟した4種類の柿で構成

「和歌山の田舎の果物農家が銀座に店を出す意義とは、銀座が消費地の象徴ということ。生産者が消費者に近づくために、銀座ほど絶好の場所はありません。銀座でたくさんのお客様からご意見を頂戴し、全国の生産者に発信していきます。一方地方で励んでいる生産者の姿も伝わることになるでしょう。こうして果物の生産が活発になって、農家の収入が増えていきます。銀座店はこのようなロジックをつくっていく旗艦店として位置付けていきたい」

 

銀座店の店内の大きな白い壁にはプロジェクターによって和歌山・観音山現地の果樹園や生産の様子が投影されている。銀座にいながらにして、みかんを手摘みしている様子を見ることができる。「フルーツパフェ専門店」というと商品の華やかなイメージが先行するが、同店には第一次産業と第三次産業の距離を縮めるという思想が感じられる。

 

 

店舗情報

店舗名 観音山フルーツパーラー
エリア 東銀座
URL https://www.kannonyama.com/

運営企業情報

企業名 農業生産法人 有限会社柑香園
URL https://www.kannonyama.com/

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