筆者が株式会社Big Sky Project代表取締役の高橋良氏を初めて見たのは、2008年に行われた第3回居酒屋甲子園でのことであった。ここでプレゼンテーションする「男のガチンコ厨房おうげん」のメンバーの中で、店長の立場でしっかりと決意表明をしていたのが高橋氏であり、存在感をひときわ放っていた。参加チーム770店(2018年の第13回は1766店)の中でファイナリストに勝ち残るためには相当にブレのないチームづくりの信念があったものと考えていた。

1号店の隣駅に出店し、これらかのドミナント出店を志向する株式会社Big Sky Project代表取締役の高橋良氏

カナダ・バンクーバーで居酒屋勤務を経験

Big Sky Projectは現在、「男のガチンコ厨房 おうげん」(東武東上線志木駅)、以下おうげん)と「弥次郎兵衛」(東武東上線朝霞台駅、JR武蔵野線北朝霞駅)を運営している。「おうげん」(28坪、52席)は炉端焼きがメインで客単価3800円、「弥次郎兵衛」(19坪65席/テラス含む)は野菜串焼き、博多和牛もつ鍋、鉄鍋餃子という看板商品を整えた客単価3400~3500円の店である。二つの店の行政区は異なるが駅では隣り合わせだ。これからドミナント出店で基盤を固めていこうというアーリーステージの堅実な姿勢が感じられる。

高橋氏は1977年2月生まれ、千葉県船橋市出身、スノーボードが好きでカナダに渡りその親しみやすい国民性に魅入られたことから、その後ワーキングホリデーで再びカナダに渡りバンクーバーに移住した。

現地では楽コーポレーション出身者が経営する「GUU」という居酒屋が親しまれていた、
高橋氏はカナダに移住したものの所持金が少なかったことから、業種を問わず日本人を雇用してくれそうな20社ほどに履歴書を送った。そこで、雇ってくれたところが「GUU」であった。そこで同店で働くことになるのだが、これが後に居酒屋の経営者となるきっかけとなった。

本連載では神奈川・川崎と東南アジアで展開する株式会社型無代表取締役の矢野潤一郎氏のことを紹介したが、2000年の当時に高橋氏はこのバンクーバーの「GUU」で矢野氏と一緒に働いていたという。高橋氏は「GUU」で3年半ほど勤務した。

「店を買い取る」という選択肢から独立を意識

帰国した高橋氏は、東京・練馬区に本社を置く居酒屋を展開する会社に2005年に入社した。同社が展開する、練馬、飯田橋、四谷の各店に勤務した後、東武東上線志木駅近くで店が立ち上がることになり、その立ち上げ店長に就任した。2007年のことである。

同店は現在の「おうげん」のことだが、オープン当初は「旬菜酒亭OHGEN」(OHGEN)という店名でアッパーな洋風の居酒屋であった。物件は志木駅から徒歩1分の商業施設1階で素晴らしい立地であるが、地元では店を開いても長く続かないことが定説であった。

それを踏襲したわけでもないだろうが「OHGEN」は業績が低迷した。そこで社長は撤退する意向を持っていたが、現場を統括する専務と店長の高橋氏が「ワンチャンスほしい」と願い出て、業態変更することになった。それに伴い店名をローマ字からひらがなに変え、店名を「男のガチンコ厨房 おうげん」(おうげん)とした。以前の店ではメニューがピザやカルフォルニアロールといった洋食で構成されていたが、それを全て和風に切り変えた。

筆者が高橋氏を初めて見たのがこの最中のことであった。第3回居酒屋甲子園でプレゼンテーションのことを前述したが、そのテーマは同店が業態変更をしたストーリーであった。
しかしながら、居酒屋甲子園のステージに立つことが売上アップに結び付くわけでもなく、売上は業態変更以前と同じ状態で低迷していた。

高橋氏は経営者より同店を撤退する意向を再び伝えられた。高橋氏は業績低迷の責任をとって退社することを申し出たが、経営者からこのようなことを示された。

それは「会社を辞める」「会社に残って他の店の店長をする」「店を買い取る」という三択であった。この時、「店を買い取る」という選択肢が存在したことに、高橋氏は独立の機が到来したことを強く意識した。

高橋氏が「おうげん」を買い取ることは月額払いにすることでまとまった。高橋氏としも借入を起こすことなく、現在は完済している。

「宴会」を改善することで売上を飛躍的に伸ばす

2009年5月より高橋氏がオーナーとなった「おうげん」は売上を飛躍的に伸ばしていった。その最大のポイントは「宴会」を改善したことであった。

地元には大きな会社があり宴会需要も多い。そこで、コースメニューの組み立て方に工夫を凝らした。
同店にはさまざまな宴会の常連さんが宴会を行うたびに幹事役を担当する若年者を紹介する。そこで、高橋氏は彼らに、「幹事役として、どのようなことを大変か」ということを打ち合わせのたびに聞いた。この共通点を解決すると、彼らが幹事役を引き受けることが抜本的に楽になると考えていたからだ。

その共通項とは、幹事役の若年者は「上司が料理に箸をつける前に料理を食べられない」「最後に残った料理の一個が食べられない」、その結果店側も「最後に料理が一個残った大皿を下げられない」という良くない慣習が存在していた。

これらを改善する策として、メイン料理以外をそれぞれ一人用のお重に分けてセッティングするようにした。これによって若年者は宴会中に上司に気兼ねすることなく食事を楽しむことができる。

また、宴会場に着くとお重が各席にセッティングされているので、宴会場に来たお客様が皆「ワオ」と驚かれる。店にとってもオペレーションが楽になる、という具合にwin-winな関係が見えてきた。

このような宴会が評判を呼び、新規のお客様も利用するようになり、宴会以外でも利用するようになった。このような営業を続けることによって、「おうげん」の業態は客単価3800円と安定するようになった。この間に設立されたBig Sky Projectにとって「おうげん」1店舗の時代は8年間継続した。

2号店のコンセプトに手応えをつかみ多店化を志向

「おうげん」は繁盛店として定着するようになり、人材が育ってきたことから企業としての基盤を固めようと考えるようになった。

新規出店の店は「おうげん」と同じ炉端業態にしようと考えていたが、居酒屋甲子園の理事として全国を回るようになった高橋氏は、福岡で「野菜巻串」と「餃子」と出合った。「これは面白い!」と新規出店店舗のイメージが沸いてきた。
そしてJR東日本との縁があり、2017年5月JR武蔵野線の高架下に「弥次郎兵衛」を出店した。

外観のデザインによって商品こだわりを訴求している

朝霞台は「おうげん」のある志木の隣駅であることから、かねがねここで出店したいと考えていた。しかしながら、朝霞台は物件が出て来るチャンスが少ない。そのような中で出店するチャンスに恵まれたことから、今後の構想も膨らんでいった。

「弥次郎兵衛」は19坪で客席はテラス込みで65席であることを前述したが、このテラス席が同店を象徴する存在となっている。普段は厚手のビニールのカーテンで覆うことで、冬も雨の日も営業可能となっている。うねったビニールのカーテンが店内で灯りの中で飲食を楽しんでいる様子を金魚鉢のように幻想的に見せてくれる。また温暖な季節にはビニールのカーテンを解放して外気を楽しむことができる。気候の良い日はテラス席から埋まっていくという。

看板商品として位置づけた「野菜巻串と餃子」は、それぞれの売れ方を示している。高橋氏は「餃子」という商品は「大衆」を象徴するメニューであると認識していて、オープンしてからオーダー率は8割と不動の人気を確立した。しかしながら、「野菜巻串」については当初苦戦したという。

お客様が「串」で連想するものは「焼鳥」であり、「野菜巻串」はイメージが伝わりにくかった。
それを克服するために、5本900円、10本1780円といった形で「盛合せ」で推奨販売を行った。この地道な努力で「この前のあれがおいしかったね」という形でリピーターからの注文が増えていった。人気上位は「レタス巻き」280円、「万能ネギ巻き」250円である。

当初思うように伸びなかったた野菜巻串だが、盛合せによってリピーターより人気を博す

地域活動に参画して地域密着主義を志向する

現在社員は7人。去年までは3人であったが、これからの出店準備に備えてこの数に増やした。社員が共に育つ環境づくりとして、月一回の社員全体会議、月二回の店長会議、月一回の料理長会議を励行している。

現状2店舗であるが、来年早々に1店舗出店、そして来期中に5店舗体制にする計画である。これからは志木・朝霞台の近隣で「弥次郎兵衛」を展開していこうと考えている。

高橋氏はこう語る。
「志木駅前で起業させていただいたことから今志木市の商工会に所属していて、いろいろなお手伝いをしたいと思っています。来年が市政50周年でイベントが目白押しです。そして、地元で活動している人たちと一緒に街づくりに参加していきたい」

高橋氏は、起業に際して店長を務めた店を買い取るという大きな転機を経験し、業容拡大の軌道を整えつつある。そして地域社会に貢献することをミッションとした地域密着の企業経営に邁進している。

地域密着型で今後のドミナント出店に意欲を見せる

店舗情報

店舗名 弥次郎兵衛
エリア 朝霞台

運営企業情報

企業名 株式会社Big Sky Projec
URL www.bigskyproject.jp

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